笠間焼編
2024年6月5日放送~6月12日放送(全2回)
関東最古の焼き物「笠間焼」
2024年6月5日放送
今回巡るのは、茨城県の伝統工芸『笠間焼』。
笠間焼は、関東最古の焼き物といわれ、2020年には栃木県の益子焼とともに『かさましこ』として、日本遺産に認定。現在では約300人もの窯元や陶芸家が集まる焼き物の産地として知られています。
そんな笠間焼の作品は色も形も多彩。
なぜこんなにも自由な作風の作品が作られるのか?笠間焼とは、どんな特徴の焼き物なのか?その疑問を解き明かしていきます。
訪れたのは、150年あまりの歴史を持つ大津晃窯さん。
笠間焼協同組合理事長で4代目の大津廣司さん、5代目の晃一さんからお話をお伺いしました。
するとわかったのは、笠間焼が辿ってきた歴史。
一度衰退した笠間焼が、いかにして窯元・陶芸家の数が300人を超えるまでの復活を遂げたのか?
さらに『かさましこ』として共に日本遺産になった「益子焼」との関係も明らかに!
そして、冨永愛がろくろに挑戦!今までは小物しか作ったことがない冨永が、今回は大きなサラダボウル作りに挑戦。はたして?
茨城県笠間地域で採れた粘土を使って作られる、関東で最も古い歴史を持つ焼き物。
江戸時代中期、笠間藩・箱田村の名主であった久野半右衛門が、信楽焼の陶工 長右衛門の指導で陶器を焼いたのが始まり。
陶芸品の産地として有名になるが、戦後プラスチック製品の流入などに衰退。県立窯業指導所や窯業団地などが設立され、官民一体となり、若手の育成、全国から優秀な陶芸家を呼び込んだ。今では300人の作家が集まる窯業産地として名を馳せている。 自由な作風が特徴で、日々新しい作品が生み出されている。
150年あまりの歴史を持つ笠間焼の工房、大津晃窯の4代目。
技術院名古屋工業試験場で釉薬研究を行い、1980年茨城県郷土工芸技術後継者として県知事賞を受賞。その後、様々な賞を獲得し、2005年伝統工芸士に認定。
茨城県窯業振興協会会長、笠間焼協同組合理事長に就任し、笠間焼の普及や後継者育成に務める。
さらに2017 年、伝統工芸品産業功労者 経済産業賞を受賞した。
1998年、県立窯業指導所を卒業後、大津晃窯で作陶を始める。
2007年、伝統工芸士に認定。
目指すのは使いやすく、飽きのこない器。
日本遺産「かさましこ」
2024年6月12日放送
前回、関東最古の焼き物といわれる笠間焼の工房、大津晃窯を訪れた冨永愛。
今までで一番大きなサラダボウル作りに挑戦。見事完成するのか?
笠間焼は古いしきたりや慣習がほとんどなく、茨城県内に居住し、自前の釜で作陶すれば、色や形に関わらず笠間焼を名乗れることから、「自由焼」とも呼ばれています。その新たな作品作りの秘密に迫ります。
また、笠間焼とその流れを汲んで生まれたという益子焼。兄弟関係にある2つの焼き物は、2020年に『かさましこ』として日本遺産に認定されました。
そんな笠間焼と益子焼の次代を担う作家にお集まりいただき、それぞれの作家たちが生み出す独自の作品、その技法を覗いていきます。
さらに、作家同士で『かさましこあるあるトーク』を展開!
栃木県芳賀郡益子町周辺で作られている陶器。陶土に他の物質を加えないことから、ぽってりとした厚みのある焼き物に仕上がり、手に馴染みやすいことが特徴。
笠間焼を修行していた大塚啓三郎が、益子町で焼き物に適した陶土を探し出して陶芸の場所に選んだことから、その歴史がはじまった。
昔から「来る者は拒まず」な気風があり、国内外を問わず数百人の陶芸家が集まる。現在も「益子焼らしさ」の伝統と先鋭的なデザインを融合させながら、たくさんの作品が作られている。
笠間焼協同組合理事長の大津廣司さんの元で修行。数々の展覧会で受賞や入選を果たした注目の若手作家。独自で完成させた金属調の釉薬に、笠間粘土のブレンドや拘りの焼成方法を組み合わせ、オリジナルの質感・料理との相性を追求した食器を手掛ける。
笠間焼作家の母親の元で修行。母親の榮似子さんの花瓶は皇后雅子様がお買い上げになった。「燻し銀彩焼」という独自の技法で、青を追求した器を作陶する。
焼き物学校を卒業後、窯元には入らず自身で益子焼を探求。「掛け分け」という技法で、複数の釉薬を地層のように模様づけする作品を中心に人気を集める。ユニセックスなデザインは女性だけでなく、男性ファンも虜にする。