日光東照宮と伝統文化編
2024年5月15日放送~5月29日放送(全3回)
【日光東照宮と伝統文化❶】 「鹿沼組子」
2024年5月15日放送
豪華絢爛で荘厳な社殿は多くの人を魅了する「日光東照宮」。
400年以上前、全国から一流の職人たちが集まり、当時の最高技術の粋を結集し造られたという。
そんな日本が誇る世界遺産から生まれた技術は、今どのようにして残っているのか?
その疑問を解くため、冨永愛が訪れたのは、日光市と隣接する鹿沼市の吉原木芸。
釘を使わずに木片を組み合わせて幾通りもの模様を描く鹿沼組子と、日光東照宮にはどんな関係があるのか?鹿沼組子の第一人者と呼ばれる吉原幸二さんにお伺いする。
さらに冨永愛が鹿沼組子作りに初挑戦!その出来栄えは?
栃木県を代表する伝統工芸の一つ。
障子や襖などに使われる細工で、一切釘を使わずに細い木のパーツを組み上げる。
組み合わせ次第では、200種類以上の多彩な模様を表現することができるという。
鹿沼に組子が伝わったのは江戸時代、日光東照宮造営のために全国から集まった腕利きの職人によって技術が伝えられたことが起源とされている。
この道、半世紀の熟練の鹿沼組子職人。
「鹿沼の名匠」、栃木県伝統工芸士に認定され、独自のデザインの組子を次々と考案。
さらに制作した衝立はローマ法王に贈呈されるなど、鹿沼組子の第一人者と呼ばれている。
吉原さんがこの世界に入ったのは19歳の頃。鹿沼組子の美しさに魅せられ、門を叩いた。
【日光東照宮と伝統文化❷】 「日光下駄」
2024年5月22日放送
豪華絢爛で荘厳な社殿は多くの人を魅了する「日光東照宮」。
その歴史の中から生まれた伝統工芸、「鹿沼組子」。
釘を使わず組み上げる組子のパーツは、0.1mmでもズレるとうまく組み上がらない。
そんな緻密なパーツはどのようにして作られるのか?
そして、鹿沼組子の第一人者と呼ばれる吉原幸二さんの後継者・3人の息子も登場!
日光東照宮の歴史から生まれた伝統工芸は他にも。
その一つが「日光下駄」。
草履の下に下駄がついた独自の下駄はどのように生まれ、どのように作られているのか?
日光下駄の職人山本政史さんさんにお伺いする。
そして日光下駄をオーダーしていた冨永愛。その仕上がりに大興奮!
草履の下に下駄をくっつけた下駄。
その起源は江戸時代。格式を重んじる社寺参入の際には「草履」を使用するのが原則だったが、日光社寺は雪や坂道が多く草履では歩きにくかった。そこで生まれたのが、草履の下に下駄をつけた日光下駄だった。
夏は涼しく、冬は暖かいのが特徴。
日光下駄唯一の栃木県伝統工芸士。
平成8年、冬季日光国体で皇太子ご夫妻に「日光下駄」実演披露。伝統的な日光下駄を基本に、独自の工夫を重ねた製品を作り、多様なニーズにも応えている。
職人になったのは30代後半。後継者不足に直面した「日光下駄」のことを知り、後継者育成事業に参加。その講師だった「日光下駄」唯一の職人・山岡和三郎さんに基礎から作り方を学んだ。
【日光東照宮と伝統文化❸】 「日光東照宮」
2024年5月29日放送
「日光東照宮」を守り繋いできた伝統文化に迫ります!
2019年、日光東照宮は「平成の大修理」と呼ばれる23年にも渡る大きな修復を終えました。
400年前に建てれた社殿や彩色が今なお、鮮やかに残り続けているその裏には、古来からの伝統を大切に受け継いできた職人の技が隠されていました。
社殿の鮮やかな外装を守る「彩色」、漆を使って社殿の下地から外壁までを守る「漆塗り」など、職人たちが受け継いできた技術を、日光東照宮の禰宜・山作良之さんから伺っていきます。
共にお話を伺うのは、日光東照宮の歴史の中から生まれた伝統工芸である鹿沼組子の職人・吉原幸二さんと、日光下駄の職人・山本政史さん。
境内を周っていると、社殿に使われている組子を発見!
そして、日光東照宮と伝統工芸の未来について、禰宜と職人が語り合います。
また、大修理の後、「顔が変わった!」と話題の三猿。なぜ顔が変わったのか?その理由も明らかに!
1617年、徳川家康を祀るために江戸幕府第2代将軍・徳川秀忠が創建。
当時は簡素な作りだったが、1636年、第3代将軍・徳川家光が行った大規模な建替え工事、「寛永の大造替」により、今のような豪華絢爛な社殿となった。家光は敬愛していた祖父・家康のため巨額を投じ大改築したという。
その社殿を今日まで守るのは漆塗、彩色、彫刻、飾金具などの職人たち。
2003年から行われた大規模な改修工事「平成の大修理」では、当時の技術を踏襲しながら創建当時のような美しい社殿を復活させた。
日光東照宮の禰宜でありながら、、御祭神徳川家康公の遺愛品をはじめ、朝廷や将軍家・大名家からの奉納品、当宮の祭器具などを収蔵、展示公開する「東照宮宝物館」の事務長、全国の東照宮が加盟する「全国東照宮連合会」の事務局長を務めるなど、東照宮の伝統を未来に残す活動を精力的に行っている。