放送内容

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#132:アナザーストーリー ブラインドサッカー 鳥居健人

2023年4月23日

去年9月、パラリンピック5連覇の絶対王者・ブラジルに初勝利したブラインドサッカー日本代表。
ブラジルからゴールを決め、勝利の立役者となったのが鳥居健人選手 31歳。
2006年、史上最年少・15歳という若さで日本代表に選出。
15年ぶりに日本代表に戻ってきた逸材のアナザーストーリー。

鳥居選手は、1991年 埼玉県越谷市生まれ。
1歳の頃、目のがんである、網膜芽細胞腫で全盲になりました。

運動神経もよかった鳥居選手は何事にも前向きにトライ。

ブラインドサッカーとの出会いは小学5年生で盲学校の先生からすすめられたのがきっかけでした。

サッカーを見たことがない鳥居選手。
ひとつひとつ体に落とし込みながら覚えていきました。

ブラインドサッカーはキーパーを含め5人制。
フィールドプレーヤーにはアイマスク着用が義務付けられ、視界はゼロ。
ボールは音がなる仕掛けになっています。
ボールを奪いに行くときは危険な衝突を避けるため「ボイ」と声をかけなければ反則。
さらに、ゴール裏で指示を出すガイドが距離やシュートのタイミングを伝えます。

現在は全国で31チームありますが、ブラインドサッカーが国内に来た頃はわずか3チーム。

鳥居選手は史上最年少15歳で日本代表に選出され、今もこの記録は破られていません。

日本代表のホープとして試合を重ねますが次第に大きな壁に直面します。

当時の代表のなかで鳥居選手と一番年齢が近い選手でもその差は7歳。

このとき鳥居選手はまだ中学生。
大人の中で一人プレーするということが孤独に繋がっていきました。

そんな中、筑波大学附属視覚特別支援学校に入学した鳥居選手に転機が訪れます。
高校の部活ではブラインドサッカーがなかったことではじめたゴールボール。

ゴールボールとは鈴が入ったボールで音を頼りにゴールを狙い、体を使いながら得点を競う球技。

ブラインドサッカーと同じように音のなるボールを使います。

同年代の選手とプレーできる居心地のよさを感じ、ゴールボール一本に転向を決意。
ブラインドサッカーで培った音を頼りにプレーする経験を活かし、2009年、18歳でゴールボール日本代表に選出されました。

2014年、23歳で迎えたゴールボールのアジア選手権では自身初の国際大会でのメダルを獲得。

鳥居「ここで区切りがついた。ゴールボールに対しての気持ちが弱まったときに自分の中にあるブラインドサッカーをやりたいという気持ちが強く出てきた」

2015年、国内のクラブチームでブラインドサッカーに復帰。
2016年には友人とチームを立ち上げ、創部から約5年で日本選手権優勝。
その1か月後に行われたクラブチーム選手権でも優勝を飾り、2冠を達成しました。

鳥居選手のストロングポイントは「空間認知力を生かした自由自在なドリブル」

空間認知力を頼りに敵が近づいたときには切り返し、相手がいない方向にドリブル。
常にボールを支配下におき、タッチを細かくすることで自由自在なドリブルが可能になります。

所属チームを日本一に導いた鳥居選手は2022年3月、15年ぶりに再び日本代表に。

去年9月、フランスで行われたワールドグランプリ2022。
対戦相手は、パラリンピック5連覇の絶対王者ブラジル。
過去12度戦っていますが1度も勝利をしたことがない相手に歴史的大金星を挙げました。

鳥居「目の前の1勝。それを積み重ねていった結果がパラ出場だと思いますし、1勝を積み重ねて一回も負けなければ金メダル。ここの積み重ねだと思っているので、パラ出場というのは掲げますけど、そこに向かうための目標として目の前の1勝」と話しました。

鳥居選手にとって、ブラインドサッカーとは。
鳥居「鳥居健人という人間を作り上げてくれた存在。サッカーを始めたから、子どもの僕が大人と関わる時間を与えてもらった、自分の人生が豊かになった。今の僕が出来上がったはサッカーの影響が8割ぐらい。だから僕という人間を作り上げたもの」と話しました。

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