放送内容

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#163:車いすバスケットボール 赤石竜我

2023年12月3日

車いすバスケットボールで東京パラリンピック全8試合に出場し、銀メダル獲得に貢献した赤石竜我選手(23歳)。

2000年、埼玉県さいたま市生まれ。
幼いころからサッカーや空手など様々なスポーツに取り組む活発な少年でした。

5歳のとき、日本で3人目という珍しい病気・ホプキンス症候群による脊髄損傷を患い、その日から車いす生活を余儀なくされました。

両親が毎日、リハビリに付き添うなどサポートし、赤石選手は少しずつ元気を取り戻していきました。

小学校の頃、お兄さんの影響でバスケットボールに憧れていた赤石選手は中学校で健常者のバスケ部に入部。

しかし、またもや大きな壁が。
それでもバスケへの情熱は消えることがなく、選んだのは車いすバスケットボール。

中学1年のとき、地元の車いすバスケットチーム・埼玉ライオンズの練習に参加し競技を開始。

同じ時期、東京でパラリンピック開催が決まり、出場を目指して練習に明け暮れました。

日本代表入りに向け、中学3年間を車いすバスケに捧げてきた赤石選手でしたが、高校1年生のとき、またしても大きな壁が。

当時、日本代表では同年代の鳥海選手がリオパラリンピックに出場。

同じ世代の選手達が活躍している中、自分だけが置いて行かれているような疎外感があり、大好きだったはずの車いすバスケを楽しめずにいました。

しかし、お父さんの言葉をキッカケに変化が。

怒りと焦り、すべての感情を闘志に変えて…
がむしゃらに練習に取り組むようになると…

2017年には世代別の日本代表に選出、
翌年には18歳ながら年齢制限なしの日本代表に選ばれるまでになりました。

車いすバスケットボールのルールは一般のバスケットボールとほぼ同じ。
大きく違うのは「持ち点」というルール。
障がいの重さに関係なく出場機会を与えるために、各選手の障がいに応じた持ち点が定められています。
最も重い選手が「1.0」、軽い選手が「4.5」。
5人の合計が14点を超えてはいけません。

赤石選手は腹筋は若干ききますが右足を動かすことができないため、持ち点は障がいが比較的重い部類の2.5。

そんな彼のストロングポイントはスピードを生かした守備。

東京での銀メダルを来年のパリへの原動力にしてひたむきに練習に励みます。

2024年1月にはアジア・オセアニアのチームが参加する国際大会があり、優勝すればパリの出場権を獲得できます。

赤石選手は「(パリでは)メダルの色は問わず、とにかく2大会連続メダルを取る。その前に予選を突破しなくてはいけない。」と直近の目標を語りました。

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