


栄華を誇ったオスマン帝国最盛期の後宮。
美しき女たちが集まるハレムは、美しいだけでは生き残れない――。

1520年、セリム1世が逝去。皇太子であったスレイマン1世が第10代皇帝に即位し、以降46年に渡る華麗なるオスマン帝国統治の歴史が始まる。スレイマンの即位と同じ頃、ルテニア(現在のウクライナ)では、タタール人による襲撃が続いていた。ある小さな町の司祭の美しい娘アレクサンドラ(後のヒュッレム)は、目の前で家族、そして恋人を皆殺しにされる悲劇に襲われる。その美貌で命拾いしたアレクサンドラは捕虜となり、幼なじみのマリアとともにオスマン帝国のハレムに献上されるため、奴隷船に乗せられた。ハレムに入ったアレクサンドラは、絶望のあまり死ぬことさえも恐れず、全てに反抗的な態度でいたが、ある夜、夢枕に立った両親の言葉に後押しされ、このハレムで生き抜くことを決意するのだった。
生き抜くためにはトプカプ宮殿の後宮でスレイマンの側女に選ばれなければならないと考えたアレクサンドラは、ある夜の宴で妖艶な舞を披露しスレイマンの心を掴む。翌日の夜、スレイマンはアレクサンドラを夜伽に召すが、寝所に現れたのは皇妃マヒデブランだった。母后アイシェは、「皆、地位を狙う。賢くなりなさい」と忠告するが、マヒデブランは嫉妬に狂っていく…。
アレクサンドラは、スレイマンの寵愛を得ることに成功し、“人を楽しくさせる者”との意味を持つ「ヒュッレム」の名を賜る。さらに、皇子を身ごもり、皇妃となることを望むヒュッレムは、スレイマンとの結びつきを強くするためイスラム教に改宗、あらゆる知恵を絞り着実にハレムの中でのし上がっていく。しかし、そこには数知れない陰謀と嫉妬が待ちうけ、女同士の熾烈な権力争いに身を投じていくことになる…。
- 大規模&豪華セットでの撮影
- 4,000平方メートル(約1,200坪)の敷地に23のメインセットを
設営。
一番広い庭園の広さは1,000平方メートル。メインセットには、約6トンの塗料、約30,000種類もの布地を使用している。

- 圧巻の豪華衣装と装飾品
- 200平方メートルを有する専用アトリエで、衣装デザインチーム(常駐25名)が2,500着以上もの衣装、王冠やティアラ、髪飾り類を1,000種類以上を制作。

- 迫力ある遠征、戦闘シーン
- メインキャスト陣に加え総勢5,000名ものエキストラが参加して行軍シーンの撮影を敢行。500平方メートルの3D撮影スタジオ内で収録された戦闘シーンは、3Dで再現された当時の風景と合成され迫力あるシーンに。
