水紀行ラインナップ
©BS日テレ©BS日テレ©BS日テレ©BS日テレ ©BS日テレ世界水紀行スペシャル 悠久のナイルを行く
~エジプト五千年の大河と大地~

2013年3月6日 初回放送

その長さ6650キロにも及ぶ世界一の大河、ナイル。文明の光届かぬアフリカの奥地に源を発し人類の英知花開いたエジプトで地中海に注ぐ、それはまさに悠久の流れ。
その大河はエジプト5000年の歴史に何をもたらしたのでしょか?そしてその大河は人々にどんな恩恵を授けたのでしょうか?今回は、南のナセル湖から河口のロゼッタまで大河、ナイル1500キロを下りエジプトの過去と現代と出会います。

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今からおよそ3300年前に「ラムセス2世」の命により建設された「アブ・シンベル神殿」。ラムセス2世は、紀元前1279年の即位以来、67年間に渡って古代エジプトを統治した最強のファラオ。古代エジプトで「ファラオ」は国王を意味します。「アブ・シンベル神殿」の最深部。ラムセス2世と神々の像が置かれています。この場所は3300年前のある仕掛けによって、年に2度だけ神秘に包まれるといいます。
奇跡を起こすのは、ナセル湖の対岸から昇る朝日。神殿の入口と太陽の角度がうまく揃うその時だけ、最深部に光が届き、ラムセス2世を照らすのです。

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古代エジプト時代に栄えた交易都市アスワン。古代エジプト時代の呼び名は「スウェネト」。
「交易」を意味するその名の通り、人や物資の往来で栄えました。
アスワンには、古くは人や物資を運ぶための、そして今は観光船が多く行き来しています。
アスワンの街中には、川と向き合う古代の暮らしが垣間見える遺跡があります。
ナイル川の水位を測るナイロメーターです。当時の農業は、ナイル川の水位によって大きな影響を受けていました。そのため、氾濫の規模や時期などを正確に予測しなければならなかったのです。

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古代エジプト時代にテーベと呼ばれ、首都が置かれた町「ルクソール」。数多くの遺跡があることから、「世界最大の屋外博物館」とも呼ばれています。1979年には世界遺産にも登録されました。街は中央を流れるナイル川で東西に分断されています。朝日が昇る東側は古代より「生者の都」とされ、多くの人々が暮らしています。東岸を代表する遺跡が「ルクソール神殿」。神殿は、歴代のファラオによって増築され、ローマ帝国時代には軍の要塞として使われたといいます。

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「生者の都」と呼ばれる東側の岸に対し、夕陽が沈む西岸は「死者の都」と呼ばれています。ルクソール西岸「王家の谷」は、古代エジプトの歴代のファラオが眠る場所。古代エジプトのファラオは、死後に副葬品が盗掘されるのを防ぐためにこの深い谷に安住の地を求めました。しかし多く集った事で結果としてほとんど全ての墓が荒らされてしまったといいます。

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国土の90パーセントが砂漠のエジプト。ナイル川の西に広がるのが「西方砂漠」です。西方砂漠には、不思議な光景の見られる場所があります。「白砂漠」です。この当たり一帯は、およそ4000万年前は海の底だったといいます。その後、隆起によって地上にあらわれた石灰岩が、時間をかけて風に削られ、自然の彫刻が生まれました。

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西方砂漠には、その広大な砂の海にオアシスが点在しています。
そのひとつ「バハレイヤ・オアシス」。一説には、この広大な緑には遠く離れたナイル川が深く関わっているといいます。古代のナイルは支流を多く持ちその一部がこの辺りを流れていたと考えられています。その古いナイルの水が地下水となり、地上に川が消えた今湧き出しているといいます。オアシスの地下は火山層になっていて、そのため湧き水はすべて温泉となっています。町には住民たちが利用する水汲み場があり、湧き出る温泉を人々は生活用水として利用しています。

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6650キロもの長さを誇るナイル川。その河口に程近く、三大ピラミッドで知られているギザの町があります。当時、ナイル川が氾濫すると、川はピラミッドの近くまで広がり、古代の人々はそれを利用して舟を使って巨大な岩を運んだといいます。

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ナイル川は6650キロの旅を終え、地中海に注ぎます。 古代エジプトには、故郷の川ナイルにまつわるこんな言葉があります。 「ナイルの水を飲む者は再びナイルに帰る」

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