水紀行ラインナップ
©BS日テレ©BS日テレ乾いた大地と世界遺産の街 モロッコ マラケシュからサハラへ

2014年6月25日 放送

アフリカ大陸北西部に位置する王国「モロッコ」。乾燥した大地で1000年の時を刻む古都が、「マラケシュ」です。北西に地中海と大西洋を望み、南にサハラ砂漠が広がるモロッコにあって、マラケシュは古くから海と陸の交易の中心地として栄えてきました。砂漠地帯に隣接していながら、川と地下水に恵まれた「マラケシュ」。その美しさは「真珠」にもたとえられます。

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旧市街メディナは、1985年に世界遺産に登録されています。旧市街の中心に
位置するのが、「ジャマ・エル・フナ広場」です。
広場の前にはスークと呼ばれる商店街が広がり、地元市民や観光客で賑わっています。

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染め物職人の工房が密集するエリアです。羊の毛を顔料で青く染めます。
イスラム教では青は天国を意味する魔除けの色であり、
宗教施設の塗装にもよく使われます。モロッコの伝統工芸品を代表するのが、カーペットです。その特徴は原色の色使いと模様で、文字のように物語が描かれているといいます。純白のカーペットは、北アフリカの先住民ベルベル人の伝統とされます。
べルベル人は紀元前にモロッコの元を築いた民族です。「高貴な人々」や「自由人」とも称され、国民の多数をアラブ系が占める現在も、独自の文化を守っています。モロッコ伝統の結婚式は通常、涼しい夜に行われます。
式典は夜中まで続き、新郎新婦や出席者によるダンスタイムが何度もあります。
旧市街に立つ「ベン・ユーセフ・マドラサ」。1565年の創設で、1956年まで使われていたイスラム教の神学校です。
現在は一般に公開されています。中庭の、長方形の水盤はイスラム伝統の建築様式です。神学校の生徒はこの周りで瞑想したり水で体を清めたりしたといいます。

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旧市街から程近く「マジョレル庭園」があります。
1930年代に、フランス人画家ジャック・マジョレルが造営しました。
当時マジョレルは、豊かな地下水で緑のオアシスを作る事を考え、
世界中から植物を集めました。
この庭園を誰よりも愛したといわれるのが、ファッションデザイナーのイブ・サンローランです。マラケシュに家を持ち度々来園していたサンローランは、マジョレルの死後、庭園の存続が危ぶまれると、自ら購入し更なる造営をしました。

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マラケシュの南方に連なる「オート・アトラス山脈」。この、4000メートル級の山で、モロッコの国土は大きく二つに分けられています。
真夏でも残雪がある山肌。オート・アトラス山脈を越えた南側には、サハラ砂漠が広がります。標高2260メートルに位置するティシュカ峠。
サハラ砂漠への旅の拠点とされています。砂漠を前にすでに乾燥した大地が広がります。峠には僅かながら雪解け水が湧き出ています。この水が山間に命の営みをもたらしています。
世界最大の砂漠「サハラ」。その広さは1000万平方キロ、アフリカ大陸の3分の1、日本列島の24倍に当たります。

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「アイト・ベン・ハッドゥ」は、サハラ砂漠のオアシスにあります。
元々は砂漠の交易の中継地として栄えた村で、1987年に世界遺産に登録されています。「モロッコで一番美しい」と言われる村は、映画「アラビアのロレンス」の撮影の舞台にもなっています。

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砂漠の一角、岩山が連なる谷間に、フィントと呼ばれる緑のオアシスがあります。
フィントには4つの集落が点在していて、合計で約900人ほどが暮らしています。
集落の生活を支えているのが地下水です。サハラ砂漠では殆どの川が季節によって消えてしまいます。地下水だけが一年を通して人々を潤します。集落の主な産業は農業です。イチジクなどの果物や野菜や小麦も栽培しています。

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