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©BS日テレタージ・マハルと宮殿ホテル インド デリーからジャイプール

2014年2月19日 放送

インド北部。首都「デリー」は人口およそ1200万人、インドの政治経済の中心地です。
街の歴史は、3000年前にまで遡ります。
中世以降は歴代の王朝の首都が置かれ、17世紀にインド全域を支配したムガル帝国の王、
シャー・ジャハーンの時代に最盛期を迎えました。

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シャー・ジャハーンの城「レッドフォート」は、
2007年に世界遺産に登録されています。
「レッドフォート」=「赤い城」の名前は、
鉄分を多く含む赤砂岩を建材とした事に由来します。

城内は赤い外観から一変、純白が広がります。
ムガル帝国の建築は、中世に北インドを支配したイスラムの様式と、
インド伝統の文化が融合して完成しました。

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オールド・デリーの中に、1955年創業の老舗の茶葉販売店
「アプ・キ・パサンド」があります。

店内には、オーナーが自ら各地で厳選したという茶葉が陳列されています。
19世紀に始まったインドの紅茶文化。現在インドは紅茶の生産量世界一です。

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デリーから南へおよそ180キロに位置する、
インドを代表する世界遺産の街、「アグラ」があります。
アグラのシンボルが、1983年に世界遺産に登録された「タージマハル」です。

実はこのタージマハルの建設には、ある悲しい愛の物語が隠されていました。
ムガル帝国の当時の国王シャー・ジャハーンが、
亡くなった妃の霊廟として建てたタージマハル。
シャー・ジャハーンは、立派な墓が欲しいという妃の願いを叶えるために、
国家が傾くほどの莫大な予算を投入したのです。

さらにシャー・ジャハーンは次に、ヤムナ川の対岸に妃の霊廟と対を成す、
もうひとつのタージマハルを作ろうとしますが、その計画の半ばで病に倒れます。
国王が倒れた王室では王子たちの権力争いが起こり、国は衰退、滅亡への道をたどりました。

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タージマハルに見られるムガル文化の伝統工芸が、
アグラの街に今も受け継がれています。象嵌細工です。
象嵌細工はその柄が細かければ細かいほど価値があるとされ、
時に1ミリ以下まで石を削り、模様が描かれます。

大理石のベースに削った貴石をはりつけ、
表面を研ぎだすことで大理石本来の白さが出て、
模様にはめた石の色が、より映えるのです。

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この街にはもうひとつ世界遺産があります。
「アーグラ城塞」は、シャー・ジャハーンの二代前の国王アクバルにより、
16世紀に建設されました。

城内に立つ「ジャスミンタワー」は、純白の姿をしています。
シャー・ジャハーンは病を患った晩年、
王子によって城内の一室に幽閉されてしまいます。
タージマハルのような豪華な建築物のために、
国費を浪費した罪を問われた為と言われています。

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アグラから西へ180キロ。
「明るく輝く都市」という意味を持つアブハネリの村があります。
村は9世紀の巨大な井戸「チャンドバオリ」で知られています。

8世紀から9世紀にかけてインド北西部を統治したチャンド王が建設しました。
深さ31メールの井戸は、3500段もの階段で囲まれています。


旧市街の宮殿でも特に美しいとされるのが、
風の宮殿と呼ばれる「ハワーマハル」です。18世紀末に建てられました。
953個もあるという窓は、宮殿内に風を多く取り込むことで
自然の冷房とした砂漠の街の生活の知恵が活かされています。

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ジャイプール市内にはもうひとつ、かつての栄華を伝える建物があります。
「ジャイマハール・パレス」です。
1745年に当時のマハラジャの宮殿として建てられました。

ホテルの敷地内には、マッサージ用の別棟が立っています。
すりつぶしたウォールナッツにヨーグルト、
そして肌の保湿の為のハチミツを混ぜ、マッサージクリームにします。

インドではこうしたオーガニックな材料を使った
肌のケアが男女共に人気です。

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ジャイプール近郊の小さな街、サンガネールは国内有数の生地の街。
模様をつける染色法、ブロックプリントが有名です。

青や赤、黄色など鮮やかな色が布に乗せられますが
砂漠に暮らす人々の間では昔から、大地の茶色に映える華やかな色が好まれるといいます。

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