水紀行ラインナップ
©BS日テレ©BS日テレ©BS日テレ©BS日テレドナウ川に抱かれた音楽の都 オーストリア・ウィーン

2013年2月6日 初回放送

オーストリアの首都「ウィーン」。全長2850キロの大河ドナウ川のほとりに位置し、古くから水上交易の要衝として発展してきました。13世紀以降はハプスブルク家の統治のもと、宮廷文化を花開かせています。
中世の町並みを残す旧市街は、2001年に「ウィーン歴史地区」として世界遺産に登録されました。現在人口、およそ170万人。その6倍以上にあたる1000万人もの観光客が毎年訪れると言われています。

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今も昔もウィーンの町に潤いを与えているのが、「ドナウ川」です。
ドイツ南部を水源として、10カ国を経て黒海に注いでいます。かつては蛇行して流れていた為、たびたび氾濫し街に大きな被害を与えていました。
現在のほぼ真っ直ぐな川は、19世紀末に、当時の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世が洪水対策として改修したものです。

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世界遺産の旧市街の直ぐ脇にも水路が走っています。「ドナウ運河」です。
ヨーゼフ1世による治水工事の前には本流だった場所で、今はドナウ川と繋がる運河となっています。この運河からドナウ川本流を巡る観光クルーズ船が出航しています。19世紀の作曲家ヨハン・シュトラウス2世は、ウィーンでこの「美しく青きドナウ」を作曲しました。当時ウィーンの町は、1866年に起きたプロイセン王国との戦争に負けて暗く沈んでいました。「美しく青きドナウ」は、ヨハン・シュトラウス2世がウィーンの人々を元気付ける為に作曲したと言われています。

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「音楽の都」ウィーンの象徴とも言えるのが、「国立オペラ座」です。パリやミラノのオペラ座と並ぶヨーロッパ三大オペラ劇場の一つに数えられています。この劇場は、1863年にヨーゼフ1世の命で建築が始まり、6年の歳月をかけ完成しました。劇場の客席数は2324席。1869年のこけらおとしでは、モーツァルトのオペラ「ドン・ジョヴァンニ」が上演されました。「国立オペラ座」は現在、世界一の人気を誇る「ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団」が拠点として使用しています。

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1905年創業の老舗レストラン「フィグルミュラー」には、ウィーンの名物料理「ウィンナーシュニッツェル」をもとめて連日多くのお客が訪れています。
まずバタフライ型に切った250グラムほどの肉を叩いて薄く伸ばし、最終的な厚さはおよそ5ミリで、直径は30センチほどにします。そしてこの店では三つの鍋を使い、肉を鍋から鍋に移しながら30秒ほどで出来上がります。皿からハミ出すほどの大きなウィンナーシュニッツェルの味付けは塩のみ。観光客だけでなく、ウィーン市民に今も愛されている料理です。

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ドナウ川の豊かな水は現在、市民の飲み水には使われていません。飲み水に使われる上水は、街からおよそ330キロ離れたアルプスからパイプラインを通って運ばれています。
ウィーンの10区に立つ高さ67メートルの貯水塔は19世紀の末に建てられました。
当時のドナウ川は生活排水による汚染やコレラ菌の蔓延などが問題視されていました。その対策としてアルプスの雪解け水を運ぶ水道のパイプが作られたのです。
この工事を指示したのも、ドナウ川の治水工事を進めた、ハプスブルク家の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世です。

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ハプスブルク家は、13世紀後半から600年以上に渡ってオーストリアを統治しました。ウィーンの旧市街にあるホーフブルク=王宮の一部は博物館として公開されています。
勤勉な性格で連日激務に当たっていたヨーゼフ1世の睡眠時間は、一日に3時間程度だったといわれています。家族と過ごす時間が少なかった皇帝は、書斎のいたるところに家族の絵を飾りました。妻のエリザベートはヨーロッパ中に知られた美貌を維持する為、常に努力をしていました。運動はほぼ毎日。フィットネス器具を使ったり、ランニングを5時間した事もあるそうです。ヨーロッパの社交界で最高の美貌の持ち主とされたエリザベートは、身長172センチでウエスト50センチという数字を生涯維持していたそうです。

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王宮のほど近く立つ菓子店「デメル」は、1786年の創業で、王宮御用達の店です。
店の看板メニューが、チョコレートケーキの「ザッハトルテ」です。19世紀にオーストリアの貴族に使えた料理人フランツ・ザッハが、それまでの美食に飽きていた貴族のために考案したと言われています。現在では世界中で作られるようになったザッハトルテ。「チョコレートケーキの王様」とも呼ばれています。

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旧市街の外れに、ハプスブルク家統治時代の栄華を伝える工房があります。「アウガルテン磁器工房」です。設立は1718年。ドイツのマイセンに次ぐヨーロッパで2番目に古い磁器工房で、世界で始めて磁器のコーヒーカップを造った工房であり、1744年には王室御用達となりました。アウガルテン工房の磁器作りは今も、18世紀当時のままの手作業が受け継がれています。

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ウィーンからドナウ川をさかのぼることおよそ70キロ。自然と歴史的建造物に彩られた「ヴァッハウ渓谷」は、2000年に世界遺産に登録された場所です。渓谷の一番下流にある街クレムスからはヴァッハウ渓谷を巡るクルーズ船が出ています。上流へ向かっておよそ36km、3時間かけてヴァッハウ渓谷の最深部にあるメルクの街まで向かいます。

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出発して30分で最初の寄港地「デュルンシュタイン」が見えて来ましす。 人口1000人ほどの小さな町を取り囲むように広がるブドウ畑。この一帯はオーストリアの最高級ワインの産地です。

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栽培されているのは白ブドウの品種。町で醸造されるワインは90%以上が白ワインです。町のワイナリー「ドメーネ・ヴァッハウ」は、オーストリア国内をこえて世界で最も品質が高く人気のある醸造所と言われています。

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出発からおよそ3時間。終点のメルクの町が見えてきました。メルクには「オーストリアバロックの至宝」とまで言われる美しい建物があります。それが町の高台に立つ「メルク修道院」です。11世紀にこの一帯を統治していた貴族レオポルト2世が城をカトリックの一派「ベネディクト派」の修道士に与えて建設しました。マリー・アントワネットがフランスに嫁ぐ旅路の途中、ここに宿泊した事でも知れています。

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「メルク修道院」の施設の中で世界的に知られているのが、図書室です。寄木細工の本棚には、およそ10万冊の蔵書が収められています。そのうち1800冊は中世当時の手書き本で、最も古い物は9世紀に書かれた本です。ドナウの真珠と称えられるヴァッハウ渓谷沿いは真珠に花を添える歴史的な建築物で彩られています。

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