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©BS日テレ©BS日テレ©BS日テレ©BS日テレ©BS日テレアドリア海の恵みあふれる港街 イタリア・トリエステ

2013年1月16日 放送

イタリア北東部。長靴型の半島の付け根に位置する港街「トリエステ」。街の人口は現在およそ21万人。年間100万人もの旅行者が訪れる北イタリアを代表する観光地です。スロベニアと国境を接し、かつては中央ヨーロッパ各国の貿易港として栄えました。
この街は、その歴史の中で様々な国の支配を受けてきました。

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街の西側。海沿いの岸壁に19世紀の白亜の城が立っています。「ミラマーレ城」です。
「トリエステ」は、第二次大戦中、ドイツ軍に占領されてしまいます。戦後に開放されると今度は、当時の東西両陣営が主権を主張し冷戦の最前線となりました。現在は、海に突き出たテラスがアドリア海の絶景ポイントとして観光客に人気の場所となっています。

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トリエステは目の前にアドリア海を含む地中海が広がり、古くから漁業も盛んです。国の内外の船から水揚げされる魚介類は年間20万トン以上。北イタリアでは最大の漁獲量を誇ります。街には豊富な海の幸を使った伝統の料理があります。それがトリエステ近海の旬の魚を使った「ブロデット」。潮の香りが凝縮したこの料理は、国境を越えてスロベニアやクロアチアでも食べられています。

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トリエステから西へおよそ50キロ。「アクイレイア」は人口3500人ほどの小さな街です。この街は古代ローマの殖民都市として紀元前に誕生しました。紀元前のアドリア海は内陸のこの地域まで入り込んでいて「アクイレイア」はローマ帝国の港湾都市として、世界中から人や交易品が集りました。最盛期には20万人以上が暮らし栄華を謳歌したそうです。街には古代ローマ時代の遺跡で当時の公共広場「フォロ・ノマーノ」があります。街の遺跡群は1998年に世界遺産に登録されています。

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4世紀に建造されたと言われる「総大司教座聖堂」。ローマ帝国による東方世界へのキリスト教布教の拠点とされました。この聖堂には今から1700年前、4世紀に描かれたとされるモザイク画が床一面に残っています。このモザイク画はキリスト教布教のために作られ、魚や漁をする天使が描かれています。当時、海が間近にあった街の聖堂で、その海の一場面に、キリスト教の世界をなぞらえたのです。

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トリエステを含むイタリア北東部沿岸地域は、アドリア海側から急角度で標高があがる独特の地形を持っています。「カルスト台地」です。数千年かけて海底に堆積した微生物の死骸が石灰岩の層となり、その後の地殻変動で隆起した地形です。カルスト台地はイタリア北東部から国境を越えてスロベニアにまで広がっています。

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カルスト台地の石灰岩によって生まれた観光スポットがトリエステの西にあります。年間20万人以上訪れるという観光客のお目当てが、カルスト台地の奥深くまで延びる「グロッタ・ジガンテ」という巨大な洞窟。高さ100メートル、幅160メートルを超える鍾乳洞で内部には鍾乳石の柱が無数に立っています。最大のものでは、高さ10メートルを超えるこの鍾乳石はカルスト台地の地下を流れた石灰水が同じ場所に一滴一滴したたるうちに中の石灰成分が結晶化したものです。いわば数百万年かけてごく僅かずつ堆積した水と時間と大地の彫刻です。カルスト台地にはこのような洞窟が、イタリア側だけでも大小合わせて1500箇所もあるといいます。

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カルスト台地には100を超える集落も点在します。そのひとつ、酪農の村「ドゥイーノ・アウリジーナ」では地元名産のチーズを作っています。タボールという種類のチーズです。タボール作りには昔ながらの製法が守られています。北イタリアにはチーズの名品が多いといわれます。厳しい自然と隣接する国々との交流が、素材を鍛え、技を磨いてきました。カルスト台地の自然が産んだ独特のチーズは、北イタリアの太陽と緑と空気が濃厚に香ります。

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トリエステから東へおよそ40キロ。スロベニアと国境を接する内陸の街「ゴリツィア」。白ワインの産地として知られています。地元原産のブドウ品種「リボッラ」が栽培されています。1930年代から白ワイン用に栽培され、一時は外国品種に押されたものの、近年になってまた品質が見直されています。ゴリツィアでは多くのワイナリーが、アンフォラと呼ばれる素焼きの壷でワインを発酵させます。古代ローマ時代から使われている伝統の陶器が、自慢の琥珀色の白ワインを生み出します。

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トリエステは、アドリア海の入り口として、多くの国と人々が行き交いました。
この街は今も豊かな海と共に息づいています。

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