水紀行ラインナップ
©BS日テレ©BS日テレ©BS日テレ白鳥の城とロマンチック街道ドイツ ミュンヘン

2012年12月5日 初回放送

ドイツ南部。
首都ベルリンとハンブルクに次ぐ大都市、ミュンヘン。
芸術と音楽の都であり、ビールの都です。

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街の中心部に立つ「新市庁舎」。
建造されたのは1909年。
ネオゴシック様式の高い塔と直線を基調とした姿で、市民を見守ります。
市庁舎の塔は、高さ85メートル。
その中段には、巨大なカラクリ時計があります。
毎日11時になると、32体の人形が動き出します。
演じているのは、1568年に行われたバイエルン大公の結婚式です。
ミュンヘンの街は12世紀、当時南ドイツ一帯を治めていた
バイエルン公国の首都として建設されました。

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バイエルン王国をおさめたヴィッテルスバッハ家の宮殿、レジデンツ。
古代ギリシャ風のデザインで、ヨーロッパを代表するルネサンス建築の一つとされます。
ヴィッテルスバッハ家は1180年からおよそ800年間に渡って南ドイツを統治しました。
その長い歴史の中では神聖ローマ帝国の皇帝まで輩出しています。

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市内には、ドイツ国内で最大のドナウ川の支流、イザール川が流れています。

イザール川には、人気のクルーズがあります。
巨大ないかだでの川下り。バンドの生演奏と飲み放題のビールで、
ゆっくりと流れる川沿いの景色を楽しみます。

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ミュンヘン市民に、一番人気のレストランがあります。
アウグスティーナ・ケラーです。「ケラー」というのは地下室という意味です。
その名の通り、客席があるのは19世紀までビールの貯蔵用に使われていた地下倉庫です。
その独特の雰囲気と醸造所直送の生ビールに惹かれて多い時には一日に2000人以上の客がやってくるそうです。
いちばんの自慢は、ビールに合うドイツの伝統料理。
豚肉を使ったカツレツ、シュバイネシュニッツェルはシンプルで豪快なバイエルン料理の代表格です。

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ミュンヘンから、南西におよそ130キロ。
ドイツアルプスと湖の街、フュッセンがあります。
標高808メートル。ドイツ南部で、最も高い場所にある街です。

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街からほど近い草原の真ん中に、その名が世界的に知られる教会が立っています。
ヴィースの巡礼教会です。1983年に、世界遺産に登録されています。
豪華絢爛な内装は、ロココ様式の最高傑作と言われています。

教会の祭壇に祀られている、鞭打たれるキリスト像。
1738年のある時、一人の農家の女性が、修道院の屋根裏でこの像を発見し熱心に祈りを捧げました。
3ヶ月後、そのキリスト像の目から、涙が流れ落ちたといいます。
この噂は、「ヴィースの涙の奇跡」として広まり、巡礼者が農家を訪れるようになりました。

世界遺産に認定された今は、それまでの巡礼者に観光客も加わって一年中参拝客が絶えることがありません。

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フュッセンには、世界的に知られる名所がもう一つあります。
白鳥の城と名のつく、ノイシュヴァンシュタイン城。
19世紀のバイエルン王国国王ルートヴィッヒ2世が美と芸術の極致を求めて建てた城です。

ルートヴィッヒ2世が父を継いで国王に即位したのは、1864年、18歳の時でした。
政治の経験は無く、読書とオペラが好きな内向的な青年でした。
ルートヴィッヒ2世が国王になるとすぐに、バイエルン王国は、周辺国との戦争に巻き込まれます。

戦争を嫌った国王は、その重圧から逃れ、政治から目を背けるために好きなものだけに囲まれたこのノイシュヴァンシュタイン城を作ったのです。

各部屋はルートヴィッヒが好きだったワーグナーのオペラをテーマに作られています。
しかし城の完成からわずか102日後、彼は国王の座から降ろされ、謎の死を遂げます。

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フュッセンから北へ366キロ離れたヴュルツブルクまでの道がロマンチック街道です。
このロマンチックとは「ローマへの巡礼の道」という意味です。
街道とタウバー川が接する場所に、街道随一の中世の街、ローテンブルクがあります。

正式にはローテンブルク・オプ・デア・タウバー、タウバー川の上のローテンブルクと呼ばれるこの街は中世、紡績や商業で発展しました。
17世紀にフランス軍に占領されると、街の財産の全てを奪われてしまいます。 この出来事で街の発展が鈍り、結果として17世紀当時の姿を今に残すこととなりました。
しかし人々が守り続けてきたこの美しい街並みは、いまではロマンチック街道の宝石と呼ばれています。
伝説と奇跡に彩られた南ドイツの街々。人々は悲しい出来事も祈りに変え、中世から変わらぬ想いを未来へと伝え続けます。

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