水紀行ラインナップ
©BS日テレ©BS日テレ©BS日テレ©BS日テレ©BS日テレ©BS日テレ水溢れるモーツァルトの故郷 オーストリア ザルツブルグ

2012年11月21日 初回放送

オーストリア中央部。ドイツとの国境に接する自然豊かな街ザルツブルク。
その名前はドイツ語で「塩の城」を意味します。街はかつて塩の流通で繁栄しました。
ザルツブルクはまた、アマデウス・モーツァルトの生誕の地としても知られます。
今も中世の趣きを残す旧市街は、1996年に世界遺産に登録されました。
街の人口は現在およそ15万人。その10倍に迫る130万人もの観光客が、毎年訪れています。

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旧市街の目抜き通り、ゲトライデガッセはローマ時代の主要交通路だった道です。
古い通りに彩りを添えるのが沿道の店先に下げられた金属の看板です。
字の読めない人でも一目で何の店かわかるような形になっています。

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街の中央を流れるのがザルツァッハ川です。国境を越えてドイツまで流れる全長225km。「塩の川」という名前の通り、塩の輸送路として使われ街に繁栄をもたらしました。
街からは、ザルツァッハ川を巡るクルーズ船が出ています。
かつて川を行き来した塩の運搬船は、19世紀、鉄道にその役割を譲りました。

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旧市街にザルツブルク発祥の場所があります。今から1300年前、廃墟となったこの土地に、ひとりの宣教師が布教のために訪れました。その拠点として建てられた修道院を中心に現在の街が築かれました。12世紀になってその修道院の跡地に建てられたのが聖ペーター教会。豪華かつ繊細な装飾が施されたロココ様式の教会です。
潤沢な建築費用は、当時「白い黄金」とも呼ばれ高値で取り引きされた塩による富で賄われました。

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大司教は塩の貿易で莫大な富も手に入れました。その権勢を今に伝える建物が丘の上にあるホーエンザルツブルク城塞です。建てられたのは11世紀、当時の大司教ゲープハルト1世が、対立していた神聖ローマ帝国との戦いに備えて建築しました。
城壁の幅はおよそ250m。11世紀に建てられて以来、兵器技術の進歩などにあわせて600年もの間増改築が繰り返され、ヨーロッパでも巨大な城の1つとなりました。
堅牢な石の壁に守られた城は、大量の塩の備蓄と地下水により長期の籠城が可能で、「難攻不落の城塞」と呼ばれました。

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旧市街の対岸にも、かつて街を統治した大司教の権勢を伝える建物、ミラベル宮殿があります。その名前は「美しい眺め」を意味しています。
1606年に大司教ヴォルフ・ディートリヒが、愛人とその子供の為に建築しました。
この庭は、ザルツブルクを舞台にした映画「サウンド・オブ・ミュージック」にも登場しました。

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ザルツブルクの街から南へ4kmほど。緑豊かなヘルブルンの森に、ミラベル宮殿の名付け親の大司教、マルクス・シティクスが建てたヘルブルン宮殿があります。
別名、水の楽園と呼ばれる宮殿の庭園内には当時施された無数の水の仕掛けがあり、訪れる人たちを楽しませています。

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18世紀のクラシック音楽の巨人、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの足跡を旧市街の大聖堂に見る事ができます。
モーツァルトが生まれたのは、1756年1月27日。聖堂内には当時モーツァルトが洗礼を受けた洗礼盤が250年以上経った今も残されています。10代で大司教に仕える宮廷音楽家となり、この大聖堂のパイプオルガンも演奏したと言われています。彼はまた大聖堂で演奏する為の曲も作っていました。

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ゲトライデガッセにモーツァルトの生家があります。黄色く塗られたアパートの4階。
現在はモーツァルト博物館として公開されザルツブルク有数の人気観光スポットとなっています。3歳でチェンバロを弾きはじめ、1763年、7歳の時に当時の大司教の、祝いの席で音楽家として公式にデビューしました。生涯で600もの曲を作ったというモーツァルト。博物館には初期に書かれた譜面の写しが展示されています。最初の作曲は5歳の時だったといいます。

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ヨーロッパ有数の塩の産地ザルツカンマーグート地方。この地方でその景観が最も美しいとされるのがハルシュタット湖です。湖と湖畔の街の美しさは「真珠」に喩えられています。1997年、ハルシュタットは世界遺産に登録されています。
ハルシュタットには、塩の街という意味があります。街の背後に聳える山には塩の鉱山があり、今も岩塩の採掘が行なわれています。この一帯ははるか昔は海の底でした。

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観光用に公開されている岩塩鉱山の坑道は、1719年に掘られたものです。
ハルシュタットで産出される塩の量は年間30万トン。これはおよそ10万人が一年間で使う塩の量に匹敵します。鉱山の最下層には塩水の湖があります。「溶解採掘場」と呼ばれる場所で、人為的に水を流し込み岩塩を溶かして塩水にする事で塩を採取していました。岩塩を溶かす水は、ハルシュタットの山々の豊かな湧き水が使われました。

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塩と並ぶハルシュタットの街のもう一つの恵み、それが湖です。
夜明け前、この湖で30年もの間、漁をしている街で唯一の漁師ペーター・ヴィマーさんの仕事が始まります。
アルプスの氷河を水源とするハルシュタット湖は透明度が高く美しい反面、魚の餌となるプランクトンが少ないため豊かな漁場とはいえません。それだけにペーターさんの獲る魚は貴重とされます。ハルシュタット湖のライナンケは、品質が高く市場では高級魚として取り引きされます。伝説では14世紀に一人の神父が骨の少ない魚を作る為に品種改良してライナンケを作ったと言われています。人と自然の叡智が極上の味を生みました。

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ザルツブルクが生んだ天才音楽家モーツァルト。彼は25歳の時にこの街に別れを告げ、ウィーンへと移り住みますしかし故 郷のザルツブルクで彼は、世界に誇れる音楽の基礎を作り上げました。その歴史はザルツァッハ川の流れのように、今もこの街に絶えることなく流れ続けています。

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