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©BS日テレ©BS日テレ赤毛のアンの島 カナダ プリンス・エドワード島

2012年11月7日 初回放送

カナダ東部。セント・ローレンス湾に浮かぶ「プリンス・エドワード島」。
日本の四国の3分の1ほどの面積を持つ島は「世界で最も美しい島」と小説「赤毛のアン」の中で讃えられ、その舞台となりました。
島の中心をなす街が「シャーロットタウン」。
街には「プロビンス・ハウス」があります。
1864年、カナダ連邦を結成するため、植民地の代表者がここに集まり、初めての会議を開きました。
そのためシャーロットタウンは、「カナダ発祥の地」と呼ばれています。

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シャーロットタウンから北西へおよそ35キロメートル。
「キャベンディッシュ」とその周辺は、小説「赤毛のアン」の主な舞台となりました。
海岸や湖、のどかな農村風景など物語そのままの世界が広がっています。

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アンが暮らした農家のモデルになった緑の切り妻屋根の家。
「グリーン・ゲイブルズ」です。
作者のルーシー・モンゴメリの親戚の家で、幼い頃に遊びに来ていた記憶から、作品に取り込まれたそうです。
現在は「赤毛のアンの家」として一般に公開されています。
室内には、アンが描かれた時代の家具や調度品が置かれています。
アンはこの家で、マシュウとマリラという年老いた兄と妹に育てられます。
アンの部屋が再現されています。
そこには当時、少女たちに流行ったドレスが飾られています。これはマリラの教育方針で、地味な服しか持っていなかったアンへのマシューからのクリスマスプレゼントでした。

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グリーン・ゲイブルズ周辺には、19世紀当時から変わらない田園風景が残っています。
アンが「輝く湖水」と名付けたお気に入りの湖もあります。

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「赤毛のアン」の作者、ルーシー・モンゴメリが暮らしたことのある家は、グリーン・ゲイブルズ博物館として公開されています。
モンゴメリの思い出が詰まった建物の中には、彼女が実際に使った品々が展示されています。
キャベンディッシュで少女時代を過ごしたモンゴメリは、その後、教員資格をとり、島の学校で教師生活を送ります。
そして1908年に「赤毛のアン」を出版し、ベストセラー作家となりました。
1911年にモンゴメリはここで、牧師のユーアン・マクドナルドと結婚式を挙げました。
結婚後、島を離れカナダ本土で暮らしたモンゴメリ。
1942年、トロントで67年の生涯を閉じています。
モンゴメリの心はいつも懐かしいプリンス・エドワード島にあり、死ぬまで島の人々の暮らしを描きました。
彼女の遺言によりその亡骸は、キャベンディッシュに葬られています。

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アンが愛情をこめて讃えたプリンス・エドワード島の海岸線。
その美しさを引き立てているのが灯台です。
島の西側に立つのが、白と黒の縞模様が美しいウエスト・ポイント灯台。
高さはおよそ20メートル。島の灯台では最大規模を誇ります。
カナダの切手にも採用された風景。この灯台は今、宿泊施設としても使われています。

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プリンス・エドワード島が浮かぶセント・ローレンス湾は、カナダ本土の川から流れ込む栄養分によって世界でも有数の漁場として知られています。
木製のカゴで生け捕りにするロブスターは、プリンス・エドワード島を代表する海の恵みのひとつです。
早朝、ロブスター漁の漁船が出航し、前日に仕掛けておいた籠を引き上げます。
漁師はロブスターの乱獲を防ぐ為、小さいものや卵を持ったメスは海に返します。
ここで獲れるロブスターは殻が固く、身がいっぱい詰まっています。
ここの海は夏でも水温が低く、ロブスターの成長に適しているからです。
プリンス・エドワード島のロブスターは、カナダ国内はもちろん、アジアやヨーロッパ各国にも高級食材として輸出されています。

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100年以上にわたって世界中の少女に読み継がれてきた「赤毛のアン」。
まるで、小説のように島は美しく輝いていました。
ルーシー・モンゴメリのゆかりの地は、アンの世界を追い求めるように多くのファンが後を絶ちません。

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「赤毛のアン」の作者ルーシー・モンゴメリがプリンス・エドワード島を離れ学生生活を送るため向かったのが「ハリファックス」です。
街の歴史は、1749年にイギリスが建設した植民地から始まります。
カナダにイギリス人が入植した最初の土地です。
この街を語る上で欠かせないのがタイタニック号の悲劇に関する話です。
1912年4月にタイタニック号が沈没。ハリファックスからも救助船が遭難現場に向かいました。
救助船によって引き上げられた犠牲者は、フェアビュー墓地を始め市内の3ヶ所に埋葬されています。
フェアビュー墓地に埋葬されたのは121人。
ハリファックスは、タイタニック号の悲劇の記憶を今もとどめています。

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