水紀行ラインナップ
©BS日テレ©BS日テレ©BS日テレ©BS日テレ©BS日テレ©BS日テレライン川に抱かれた歴史の街 スイス バーゼル

2012年9月19日 放送

スイス北部。ライン川の両岸に広がる町「バーゼル」。
その歴史は古く紀元前にまで遡ります。ライン川流域を支配した古代ローマ帝国の殖民都市として建設されました。現在、バーゼルは17万人が暮らす、チューリヒ、ジュネーブに次ぐスイス第三位の大都市です。
2000年の歴史を持つ古都は、そこかしこに古代や中世の面影を残しています。

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中世、バーゼルの町は周囲を防護壁に覆われた要塞都市でした。「シュパレン門」は当時町を守った門の一つで、「スイスで最も美しい門」と言われています。
門の上部に描かれたバーゼル市の紋章は、カトリック司教が持つ杖の先端部分をモチーフにしたデザインになっています。かつてバーゼルは司教が統治する町「司教座」でした。

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町を生んだ母なる大河「ライン川」。水源はスイスアルプスの雪解け水で、ドイツ、フランスなどヨーロッパの6カ国を経て北海に注ぎます。
流域のほとんどの国や町がそうであるように、バーゼルもライン川の恵みで発展しました。
大規模な港湾都市としては最上流にあり、古くから水運の要衝とされ、現在も大型の貨物船が行き来しています。
町の北に位置する「三国国境」は、その名の通り、ドイツとフランスに国境を接している場所です。ライン川沿いに2つの大国と接するバーゼルには人や物や情報が自然と集ってきました。この恵まれた立地が、地方都市に過ぎなかったバーゼルを大きく発展させたのです。

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バーゼル名物の菓子専門店「レッカリー・フース」。店の名前にもなった「レッカリー」は、15世紀ごろから作られている町伝統の焼き菓子で、小麦粉とシナモンやナツメグなどのスパイスを混ぜ、ハチミツやオレンジピールを加えて焼いています。表面が薄っすら白いのは、最後に砂糖でコーティングしているからです。モッチリした歯応えで、地元では子供はもちろん大人にも人気です。チョコレート大国でもあるスイスの人たちは、世界有数の甘党として知られています。

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ライン川の両岸を100年以上の歴史を持つ渡し舟が結んでいます。川幅200メートルを4分で結ぶこの渡し舟は現在市内の四ヶ所で運行し、今も観光客や市民の大切な足として活用されています。
この船には動力が無く、船を動かしているのは川の流れです。川に対して船を斜めにする事で、水に押されて真横に動いているのです。この仕組みは元々、レオナルド・ダ・ヴィンチが15世紀にイタリアで考案したもので「ダヴィンチの渡し舟」と呼ばれています。

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ライン川沿いの高台に聳える大聖堂。建てられたのは9世紀初頭です。しかしその当時の姿は残っていません。10世紀には中央アジアとの戦争で破壊され、12世紀には大火事に見舞われてしまいます。13世紀に入って当時流行のロマネスク様式で建て直されますが、1356年に今度は大地震で破壊されます。現在のゴシック様式で改修されたのは15世紀。そのため2つの様式が混在しています。
当時のバーゼルは、カトリックの司教が最大の権力を持っていました。しかし16世紀、カトリック教会の閉塞感に対する民衆の怒りから、ヨーロッパ全土で宗教改革の波が起きます。バーゼルの町もその中にあり、1529年にはプロテスタントの町に生まれ変わります。質素を尊んだプロテスタントによって大聖堂内部の豪華な装飾は取り外されました。

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街の中心部、マルクト広場にもバーゼルの歴史を刻む建物があります。市庁舎です。
この建物は、1501年にバーゼルが神聖ローマ帝国から独立してスイス連邦へと加入した記念に建てられました。建物の正面には一面に装飾が施されていますが、それらのほとんどは騙し絵です。建築費用を節約するために彫刻ではなく騙し絵が採用されたそうです。
スイス人はヨーロッパ有数の倹約家で知られています。

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ライン川の西岸に広がる住宅地、「聖アルバン地区」は、かつてバーゼル発展の礎となった場所です。市の中心部の喧騒から少し離れ緑が多いこの地区は、古くは貴族や裕福な人たちの高級住宅地でした。家々の間を12世紀に修道士が掘った運河が流れています。当時は水車を置いて小麦などをひいていましたが、その後15世紀に商人が水車を買い取り製紙業を始めます。10機ほどあった水車は1つだけが今も残り、当時の製紙工場と共に博物館として緒に保存され公開されています。当時バーゼルは中世ヨーロッパを代表する製紙の町でした。

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バーゼル市内からライン川の上流へおよそ10キロ。古代ローマ時代には、バーゼルよりも栄えていたという町「カイザー・アウグスト」があります。ドイツ語で「皇帝カイザー」という名前の通り、ローマ皇帝カエサルによって建設されました。
町外れには当時の遺跡があります。この地域は紀元前44年からおよそ500年もの間、ローマの殖民都市として発展し、最盛期には人口5万人の大都市だったといいます。
この場所には大小合わせ20以上の遺跡が発掘され、その遺跡群は、ライン川沿いで最古のローマ遺跡と言われています。

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カイザー・アウグストから更に上流へ10キロにある街「ラインフェルデン」。
この街にある施設「ソーレ・ウノ」は塩水を利用したスパ施設で、国内外から年間50万人以上が訪れています。地元の岩塩で作った塩水を濃度3%に薄めてから34度まで温めて、温水プールなどにして提供しています。塩分が最も高いプールは、一般的な海水の3倍以上の12%の濃度で、何もしなくても体が浮いてしまいます。
海の無い国には極上の海がありました。

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