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歴史の香り漂う世界遺産の街 スイス ベルン

2012年8月22日 放送

標高542メートルの高地に位置するスイスの首都「ベルン」。
町は1191年に、神聖ローマ帝国のドイツ系貴族によって築かれました。
405年に町を襲った大火事で、当初建てられた木造建築の3分の2が焼失。
その後石造りで再建されました。
中世の街並みを完璧なままに残す旧市街は1983年に世界遺産に登録されました。

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アルプスの雪解け水を水源とするアーレ川。そのアーレ川は馬締型に湾曲して、街の三方を囲むため、防壁の役割をしていました。
アーレ川は、およそ300キロの旅を経てヨーロッパ大陸を代表する大河ライン川に合流します。スイスは四方をフランス、ドイツ、オーストリア、イタリアに囲まれ、海がありません。そのため、アーレ川をはじめとするアルプスの雪解け水が、この国を作りあげたともいわれます。

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ベルンの街で最もよく見られるもの、それが噴水です。旧市街だけで100ヶ所以上。
そのほとんどが16世紀に作られたものです。
アーレ川や、地下から水をひいた噴水は市民の貴重な水場として使われてきました。
中央の柱には様々な装飾が施されています。
最も有名なのが「子喰い鬼の噴水」。1544年に作られたというこの噴水は、その名の通り子供を食べる鬼の像が置かれています。
子供たちの悪戯をいさめる為、とも、近くにあった井戸に子供が近付いて落ちないようにする為、とも言われています。

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旧市街のランドマークが、高さ100メートル。スイスで最も高い塔を持つ大聖堂です。
1421年の建築開始から完成までには、500年近くかかりました。
スイス国内の後期ゴシック教会としては最大を誇ります。
16世紀にヨーロッパ各国で起きた宗教改革により、ベルンの町は、プロテスタントに支配されます。その際にカトリックの特徴である豪華な装飾や聖像などが破壊されました。
その中にあって、中央祭壇のステンドグラスは破壊を免れました。

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旧市街で大聖堂と並び観光客の人気を二分しているのが「時計塔」です。
元々は13世紀初頭に城壁の門として作られた建物で、1405年にベルンを襲った大火事の後、時計が取付けられました。
現在の時計は、1530年に作り直されたものです。
時計塔には、一定の時間ごとに人形などが動き出す様々な仕掛けが施されています。
最も長く大掛かりな仕掛けが見られるのが正午。一日一度のイベントを見る為、正午近くになると観光客が集ってきます。
この時計塔で500年もの間、地元の時計職人が代々受け継いできた仕事があるのです。
時計職人のダイチャーさんが時計塔を訪れると、大時計の歯車に巻かれた紐が残り少なくなっていました。この紐は28時間で完全に解ける為、24時間ごとに紐を巻き直します。

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ベルンの町から西へおよそ30キロ。「ヌーシャテル湖」は琵琶湖の3分の1ほどの大きさです。湖岸で最も大きい街が、湖の北部に広がる「ヌーシャテル」です。
ヌーシャテルの建物はその多くが、薄黄色の石で建てられ独特の雰囲気に包まれています。
小説「三銃士」で知られるフランスの小説家アレクサンドル・デュマは、ヌーシャテルの街並みを「バターの塊をくり抜いたようだ」と表現しました。
フランス国境に近い為、住民のほとんどがフランス語で話します。

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ヌーシャテルから南西へ30キロ。人口800人ほどの小さな村「モティエ」は、18世の思想家ジャン・ジャック・ルソーが一時暮らしていた事で知られています。
モティエの名産品が、胃腸を整える作用があるニガヨモギなど、10種類ほどの薬草や香草をアルコールに浸して作るお酒「アブサン」です。
元々アブサンは薬として作られていましたが、18世紀末頃からフランスでリキュールとして大流行。しかしその後、幻覚作用がある成分が含まれるとされ、1910年に製造が禁止されました。しかし製造造禁止からおよそ70年後の1981年。WHOは、厳しい基準を設けた上でアブサンの製造を認可します。
そして2005年、アブサン発祥の地スイスでも製造が解禁されました。
フランソワさんは、以前は飲み物の卸売り業をしていましたが、その頃からアブサンに興味があり、少しずつアブサンの古い資料を集め、解禁されると同時に奥さんとアブサンの蒸留所を開きました。

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中世の美しい街並みが、そのままの姿で今も残るベルンの町。
ヨーロッパに幾度と無く吹き荒れた戦争の嵐から街を守ったのは、防壁となったアーレ川と、人々の永世中立という意思でした。

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