水紀行ラインナップ
©BS日テレ©BS日テレ©BS日テレ©BS日テレ©BS日テレ©BS日テレ©BS日テレアジアとヨーロッパが出会う水の都 トルコ イスタンブール

2012年7月18日 放送

トルコ共和国の西部に位置する港町「イスタンブール」。首都「アンカラ」を上回る国内最大の都市は、トルコの文化、経済の中心地です。市内の南西に広がる「旧市街」。東洋と西洋が混在する美しいその景観は、1985年、世界遺産に登録されています。

©BS日テレ

©BS日テレ

©BS日テレ

様々な民族に支配されてきた歴史を持つイスタンブール。
「アヤソフィア」は、町がたどってきた歴史を今に伝える建物です。
324年に建設された当時はキリスト教ギリシャ正教の聖堂でした。
15世紀、オスマン帝国の支配が始まると、教会はモスクに改修されてしまいました。

©BS日テレ

©BS日テレ

©BS日テレ

旧市街の中心部に、世界で最も知られた市場の一つ「グランド・バザール」があります。
15世紀ごろから東西交易の中心地として様々な商品が取り引きされてきました。
大半がトルコの伝統工芸品や宝飾品、オスマン帝国時代に生まれた陶器などの専門店です。
観光客の定番のショッピングスポットとなっています。

©BS日テレ

©BS日テレ

©BS日テレ

トルコ料理の名店、「ハジュ・アブドゥラー」は、1888年創業の老舗レストラン。
オスマン帝国時代の宮廷料理を提供しています。レシピのほとんどが当時のまま。
宮廷料理の一つ、ナスを巻いた子羊のケバブは、香辛料とトマトの風味を生かした上品な味わいを持つこの店の代表料理。
世界中から食材と香辛料が運ばれ、歴代皇帝の要求に応える事で完成していったトルコ料理は中華、フレンチと並び世界三大料理に数えられています。

©BS日テレ

©BS日テレ

©BS日テレ

アヤソフィアに向かい合うように「市内で最も美しい」といわれるモスク「スルタンアフメット・ジャミィ」があります。建設されたのは1616年。回廊のある中庭と幾重にも重なったドームは、オスマン建築の最高傑作と言われます。「ブルー・モスク」の愛称を持つモスクの内装は、イスラム教で聖なる色とされる青い装飾で飾られています。

©BS日テレ

©BS日テレ

©BS日テレ

©BS日テレ

幾つもの歴史的建造物が点在する旧市街には、古代ローマ時代に建造された「ヴァレンス水道橋」という巨大な水道橋もあります。郊外にある森の湧水を市内に引くため、当時のローマ皇帝コンスタンティヌス1世の命令で建てられました。
水道橋を通って森から引かれた湧き水は、「地下宮殿」と呼ばれる地下の貯水施設に一旦ためられました。貯水槽の容量はおよそ8万立方メートル。当時の全市民40万人をおよそ100日間潤せました。様々な国の侵略を受けたイスタンブールでは、敵軍に水路を破壊されるなどした時の供えとして、こうした設備が必要でした。

©BS日テレ

©BS日テレ

旧市街のエミノミュには、新市街へと繋がる「ガラタ橋」が架かっています。
橋は二重構造で上が歩道と車道。下の層にはレストランが軒を連ねています。

©BS日テレ

©BS日テレ

ガラタ橋を渡ると、新市街のカラキョイという町にたどり着きます。その海沿いには一日中、活気あふれるカラキョイの魚市場があります。黒海産の新鮮な魚がたくさん売られていてイスタンブールでは、マスやイワシが多く食べられています。

©BS日テレ

©BS日テレ

市場の一角には、新鮮な魚介類を扱うシーフードレストランがあります。
この店の名物料理がカタクチイワシの唐揚げです。塩、こしょうなどの味付けは無し。
はらわたと頭をとったカタクチイワシにトウモロコシ粉をつけて油で揚げるだけのシンプルな料理。新鮮な素材の味を楽しめる逸品です。

©BS日テレ

©BS日テレ

©BS日テレ

ガラタ橋の旧市街側にあるエミノニュは観光船の船着き場でボスポラス海峡を一周するクルーズが世界中から集まる観光客に人気です。
ボスポラス海峡に差し掛かると見えてくる「ドルマバフチェ宮殿」は、1856年に建てられたオスマン帝国時代最後の宮殿で、共和国設立後は大統領の官邸になりました。
ルメリ・ヒサールは、1452年、オスマン帝国の皇帝メフメット2世がイスタンブールを攻略するためにわずか4ヶ月で築き、海峡を封鎖したという要塞です。

©BS日テレ

©BS日テレ

海沿いに多くのモスクが存在するイスタンブール。歴代の皇帝たちは、なぜ海岸線にそれらの建設を命じたのか、モスクの修復を行う、建築家のトゥーバ・ケレシュさんにその理由を聞きました。

©BS日テレ

©BS日テレ

©BS日テレ

オスマン帝国時代以前から、人々は、海路を使いヨーロッパとアジアを行き来しました。
海沿いにモスクや邸宅を建てることは、権力の誇示だけでなく、海路を通る時の目印にもなり当時の人々にとってとても重要なことでした。
アジアとヨーロッパが出会うイスタンブールの海。それは、人々を繋ぐ重要な道だったのです。

©BS日テレ©BS日テレ

▲ページトップへ

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
BS日テレ