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©BS日テレ©BS日テレ人気のアデレードから謎の地下都市へ 癒しの南オーストラリア

2016年3月24日 初回放送

今回は南オーストラリア州の州都アデレードとオパールの産出地として知られるクーバー・ピディを旅します。

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アデレードは人口はおよそ100万人。
19世紀、新天地への夢を抱きヨーロッパから自らの意志で移り住んだ人々が理想郷を目指して築きあげた都市。
落ち着いた雰囲気で自然が多く、物価が比較的安いことなどから
日本人観光客や留学生に人気です。
街の中心を流れるトレンス川は市民の憩いの場として
人々の暮らしを潤しています。

およそ80年前から、この川をクルーズしている遊覧船がポパイです。
小さい頃ポパイに乗っていた親が、自分の子供を乗せさらに孫を連れて
乗るとことも少なくないそうです。

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トレンス川のもう1つの名物がイタリアの水の都、
ベネチア生まれのゴンドラです。
地元ではこのゴンドラでプロポーズをするのが人気です。

川べりにあるレストラン、レッド・オーカー・グリルはワニやカンガルー、エミューなどを使った伝統料理を現代風にアレンジした独自のメニューでオーストラリア中にその名を知られています。
人気メニューはオーストラリアならではのお肉を使った、グリル・プラッター。カシスなどの仲間であるスグリの果実を使った、甘酸っぱいソースでいただきます。

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アデレード市内から南へおよそ80キロメートル。フルリオ半島、エンカウンター湾にある、ビクター・ハーバーはかつて捕鯨の基地として知られた古い港町。
ビクター・ハーバーには観光客に人気の特別なトラムがあります。
アデレード市内などを走るものと違い、馬が引くトラムです。
この港町で馬車のトラムが走り始めたのは1894年。
以来100年以上に渡って、町の名物として愛されてきました。
トラムが向かっているのはグラナイト島です。
島までは630メートルの木製の橋が架けられていて、20分ほどで渡ります。

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古くから自由都市として移民文化を大切にしてきたアデレード。
そのことが国内随一のワイン産地をつくりだしました。
バロッサ・バレーです。
19世紀当時、他の開拓地で宗教による差別に苦しんでいたドイツ人の移民たちが、自由を求めてアデレードにやって来ました。
彼らはここバロッサ・バレーが母国のブドウの産地、ライン川流域の地形に似ていることから、ブドウの木を持ち込んだのです。
やがてバロッサ・バレーはオーストラリア最大のワイン産地になりました。
古くからあるワイナリーの代表格が1890年設立のシャトー・タナンダです。
125年の歴史を持つオーストラリア有数の老舗ワイナリーです。
ここで育てられているブドウはバロッサ・バレー・シラーズという品種です。
バロッサ・バレーにはテイスティングしながらワイナリーを巡るツアーがあり、観光客に人気です。

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アデレードから北西へおよそ900キロメートル。内陸に広がるアウトバックと呼ばれる大荒野にクーバー・ピディという町があります。そこは世界に名だたる、オパールの産出地です。
クーバー・ピディ周辺は、夏は摂氏45度以上、冬はマイナス3度にもなる厳しい土地です。住民たちは岩盤をくりぬいたり地面を掘り下げたりした、独特の地下の家で過酷な暑さと寒さをしのいできました。
オパール鉱が発見された当時の、採掘や地下での生活の様子を伝える、地下の博物館がウモーナ・オパール博物館です。博物館は、かつてのオパール鉱の跡をそのまま利用しています。
ケイ素の化合物、植物や動物の化石が、岩の隙間に溜まるなどしてできるというオパール。オーストラリアの重要な輸出品のひとつであり、クーバー・ピディは現在も世界最大の産地です。

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クーバー・ピディで、最初のオパール鉱が発見されたのは1913年。
以来ゴールドラッシュさながらに
世界中から一攫千金を夢見る人々が殺到しました。
現在も街には45か国以上から来た3500人が暮らしています。
最初にオパールが発見されてから100年以上経った現在も、400人ほどが
採掘をしているといいます。1978年以降、市街地での採掘は禁止されていますがそれ以外の場所では採掘料さえ払えばパールを探すことが出来ます。
クーバー・ピディのオパール産出量は、1970年~80年代にピークを迎えました。現在は産出量も減りましたが、それでも全世界の60パーセントを占めるそうです。

先住民アボリジニの言葉で地下に暮らす白人を意味するクーバー・ピディ。
人々の欲望と夢が世界中でも類を見ない、不思議な風景を生み出しました。

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