水紀行ラインナップ
©BS日テレ©BS日テレ芸術が彩る運河の街 オランダ アムステルダム

2012年5月16日 放送

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ヨーロッパ大陸の北西部に、オランダの首都「アムステルダム」はあります。
その歴史は、13世紀までさかのぼります。
アムステル川河口の浅瀬を埋め立てた干拓地に小さな漁村が作られたのが始まりです。
町の人口は70万人ほど。オランダを代表する観光地であり、年間およそ970万人の観光客が訪れています。

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街の玄関口「アムステルダム中央駅」。
市内の多くの建物がそうであるように、川の浅瀬に土を盛った人工の島の上に建てられています。
古代ギリシャの神殿に倣ったネオルネサンス建築。埋め立て地の土壌の脆さをカバーする為に8687本もの杭が打たれています。東京駅のモデルになったとも言われ、2006年に姉妹駅の提携を結びました。

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アムステルダムには165本もの運河があります。
観光客は市内を網の目のように走る運河を巡り、中世の面影を残す街並みを楽しむことができます。
運河で隔てられた無数の人工の島からなるアムステルダムの街。
島を結ぶ橋は1300本に迫ると言います。
川沿いに並ぶのは、17世紀の商人たちが建てた家「カナルハウス」。
運河と町並みのつくり出す美しい景観は2010年、世界遺産に登録されました。

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大航海時代、オランダはアジア各国との貿易で莫大な富を得ました。
その中心地だったアムステルダムは当時、「世界一裕福な街」とまで言われています。
その時代を代表する建物があります。
高さおよそ85メートル。市内で最も高い塔を持つ「西教会」です。
1631年、プリンセン運河とカイザルス運河に囲まれた場所に建てられました。
その均整のとれた佇まいは、オランダルネサンス建築の最高峰と讃えられています。

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17世紀、アムステルダムは世界の商業の中心地として最盛期を迎えました。
アムステルダムの港には、当時の貿易船を復元した船がモニュメントとして展示されてます。
当時、アフリカやアジアを行き来した船が何艘も停泊していたといいます。
当時の繁栄を牽引したのが東インド会社です。
1602年に世界初の株式会社として設立。商業活動のほかに、条約の締結や軍隊の指揮、植民地経営など、アジア地域での活動に様々な特権を持っていました。オランダを一大上帝国に押し上げたのは、アムステルダムの商人達だったのです。

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オランダはヨーロッパ有数のビール生産国で、一人当たりの年間飲酒量は、日本のおよそ1.5倍。
アムステルダム市内には、有名なビール醸造所がいくつかあります。
中でも確かな味で定評があるのが、「ヘットアイ醸造所」。有機栽培された麦芽やホップを国の内外から取り寄せ、6種類の地ビールを作っています。所内のバーでは、地元っ子や観光客が自慢の銘柄を楽しんでいます。オランダのビールは日本と同じ下面発酵で、ホップの苦味が特徴です。ここでは、年間30万リットルのビールを醸造しているそうです。
ビールの本場ヨーロッパでは、「ビールの歴史は良い水とのめぐり合いの歴史」と言われています。アムステルダムにはその歴史が息づいています。

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アムステルダムから北へおよそ15キロ。ザーン川のほとり「ザーンセ・スカンス」村は、17世紀のオランダの風景や生活と出会える人気の観光地です。
伝統的な家や風車、木靴工場など。古き良き風景の中で村人達が暮らしています。
今から250年前。村は600基以上の風車が回る一大工業地帯でした。
当時の風車は、木材の切断や農作物の加工などに使われていました。村では観光用のほかに、今でも実際の動力源として使われる風車があります。
オランダでは近年、発電も風力でまかなう計画が進められています。

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アムステルダムから北へ35キロほど。「ホールン」は、17世紀の面影を残す古い港町です。ホールンの町からメーデンブリックまで、オランダ北西部の田園地帯を1960年代製の蒸気機関車で走ります。オランダは日本やドイツに並ぶ鉄道王国として知られ、国中に鉄道網がしかれています。
やがて車窓には、鮮やかな春の色が広がります。チューリップの花々です。
オランダの人々は、西ヨーロッパの厳しい自然を受け入れ共存する事で、「花の国」「幸福な国」という名声を手に入れたのです。

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