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©BS日テレ©BS日テレ大航海時代の面影 ポルトガル リスボン

2012年4月18日 放送

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西ヨーロッパ、イベリア半島の先端に位置するポルトガルの首都・リスボン。起伏に富む地形から、別名「七つの丘の街」と呼ばれています。
リスボンの街を流れるテージョ川は、遠くスペインから国境を越え、1000kmもの旅を終える大河。そのほとりに古代フェニキア人が住み着いたことからこの街の歴史は始まりました。

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リスボン市内で1番の繁華街がバイシャ地区です。「バイシャ」とは、ポルトガル語で「低い土地」という意味で、その名の通り市の中心部の海抜の低い地域にあります。
1755年、リスボンはマグニチュード9の巨大地震に襲われました。そして、バイシャ地区をはじめ市内全域が、建物の倒壊や津波により壊滅的な被害を受けます。しかし、当時の国王ジョゼ1世の命により、世界初といわれる耐震構造を用いて町全体が再建されました。

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市内には、大地震の被害を逃れた地域があります。アルファマ地区です。ここでは、大地震以前のリスボンの風景に触れることができます。
迷路のような細い路地や、白壁の家々…。そこには、かつてリスボンを支配したイスラムの文化が垣間見えます。
この旧市街では、洗濯物がひとつの風物詩。そこかしこの狭い路地に洗濯物がはためいています。リスボンの夏は、雨がほとんど降らないため、洗濯日和が続きます。

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20世紀初頭から運行する市電。全部で5路線が市内を網羅しています。その中でも特に乗降客が多く人気なのが28番線です。レトロな車両が、バイシャ地区やアルファマ地区など、見どころの多い市内の中心部を、片道およそ40分かけて走ります。
特にアルファマ地区の狭い路地をすり抜ける様は、遊園地の乗り物のよう。28番線は、市民よりも、むしろ観光客に多く利用されているのだとか。

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ポルトガルの伝統音楽・ファドの生演奏を楽しみながら食事ができるファド・レストランが、旧市街のアルファマ地区をはじめ市内にいくつもあります。
ファドは19世紀初頭に誕生し、リスボンを中心に広まりました。暗いテーマが多いと思われがちなファドですが、地元では「故郷賛美」「町の噂話がテーマ」の陽気な内容も多く歌われているのだそうです。

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ベレン地区には世界遺産に登録されているジェロニモス修道院があります。
1502年、エンリケ航海王子とヴァスコ・ダ・ガマの偉業を讃えるために着工され、全てが完成するまでおよそ300年かかりました。
ポルトガル独自であるマヌエル様式の細かで豪華な装飾が特徴となっています。
修道士たちが祈りと瞑想の時間を過ごした回廊は、装飾や完成度の高さから、「マヌエル様式の最高傑作」と讃えられています。
この建設にあたっては、香辛料貿易の利益が費やされました。ヴァスコ・ダ・ガマが発見したアフリカ経由のインド航路によりもたらされたものです。当時、香辛料は金と同じ価値で取り引きされていたのです。

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リスボンから北西へおよそ25キロにある街・シントラは、歴代のポルトガル国王が避暑地として過ごした緑豊かな街です。
イギリスを代表する詩人バイロンは、この街を「この世のエデン」と称えたといいます。このシントラの街並みは、1995年、「シントラの文化的景観」として世界遺産に登録されています。
シントラの山頂に立つペーナ宮殿。大地震以降廃墟になっていた修道院を、ポルトガル王・フェルナンド2世が1836年に改築し、宮殿にしたのです。
アラブやインド、イスラム、そしてマヌエル様式などを散りばめた建物は、当時ヨーロッパで流行していた、ロマン主義を象徴する建築と言われています。

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リスボンから西南へおよそ1000キロ。ポルトガル本土よりもアフリカ大陸に近い位置にあるマデイラ島があります。この島は、大航海時代、北大西洋を航海するポルトガル船の中継基地として栄えた島です。
山をはさんで南側に人が多く住み、北側には氷河期を逃れた原始の森が広がります。700種類以上の貴重な植物を見る事ができるこの森は、1999年世界遺産に登録されています。人類よりも長い歴史を持つ森は、叡智と驚きに満ちています。

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