放送内容

第66回 三国志~曹操編~のたしなみ

2019年11月30日 放送

“三国志~曹操編~のたしなみ”をおさらい

  • ◎たしなみスト
    早稲田大学理事/三国志学会 事務局長・渡邉義浩

    【三国志】

    小説に漫画、ドラマや映画まで、時代を超えて愛され続ける「三国志」
    今から約1800年前、中国を400年も統一していた漢帝国が衰退。
    各地の豪族たちが勢力を伸ばし、中華統一を目指し群雄割拠した時代。
    三国志とは「魏」「呉」「蜀」という3つの国の歴史のことで、それぞれに英雄が存在。
    それが 魏の曹操、呉の孫権、蜀の劉備である。
     
    【三国志で押さえてほしい2大決戦】

    <官渡の戦い>
    この頃、もっとも中華統一に近かった袁紹と曹操が争い、
    のちに曹操が天下に名を轟かせることになるが、
    袁紹の軍の兵力10万に対し、曹操軍は1万と劣勢。
    袁紹軍は曹操軍を官渡の城へ追い詰め完全包囲する。
    曹操軍は絶体絶命の大ピンチとなる。
    しかし曹操はここから大逆転する“ある策”を講じる。
    曹操がとった策とは、真っ向勝負はやめ、袁紹軍の食糧を全て焼き払った。
    食料が無くなり冬を越せなくなった袁紹軍は投降者が続出し敗戦。
    劣勢だった曹操軍が勝利をおさめ、その名は一躍天下に広がり覇道の道へ。
    のちに、この曹操が「魏」という国の基礎を築き上げる。

    <赤壁の戦い>
    一大勢力となった曹操軍を迎え撃つのは、孫権と劉備、2人の英雄による同盟軍。
    水上での戦いに船を揃え、100万の兵力を持つ曹操軍
    一方、水上戦が得意な孫権だが、兵力はわずか10万。
    そこで呉の司令官、大都督・周瑜が講じた策が、
    身動きが取れない水上で曹操軍が風下になった時に火攻めにするというもの。
    油断している曹操軍に火攻めを決行し、結果は同盟軍が勝利。
    この後 孫権は「呉」、劉備は「蜀」という国を作り、
    3つの勢力に分かれた三国時代に突入する。

    【曹操ヒストリー前編 「改革者・曹操の誕生」】
    三国志の物語が始まる前の若き日の曹操を振り返る。
    皇帝の側近であり位の高い役人・宦官の祖父を持つ曹操。
    この時代、地位を悪用した宦官達の悪政が横行し
    極悪な祖父を見て育った曹操は、幼いながらも間違った世の中を変えると心に抱く。
    その後、政治の中心地・洛陽で曹操は20歳という異例の若さで役人に任命、
    街の北部の警備につくことになる。
    この時代は、利や欲にとらわれず、人を愛し思いやる儒教の教えが元になった支配体制。
    法や刑罰で厳しく縛ることなく、秩序ある社会を目指すことが理想だったが、
    規則違反は横行し、治安は最悪な状態に。
    ここで曹操は国を変えるために、儒教の考え方に背く厳しい刑罰を執行する。
    例えば、門限を破っただけで貴族であろうが「棒叩きの刑」を行い、
    悪質になればなるほど叩く回数が増える。
    その時の刑罰に使われたのは、5つの色に彩られた「五色棒」と呼ばれる専用の棒で、
    長さは1メートルにも及んだ。
    曹操は冷徹な役人として名は広まったが、警備地域の治安を見事に回復させた。
    その後、様々な功績が認められ、曹操は30歳という若さで国相(今でいう県知事)に就任。
    ここでも規則を破り汚職を働く多くの重臣達を追放する。

    この頃の曹操を人はこう評した。

    “治世の能臣 乱世の奸雄”
    (世の中が平和であれば有能な役人として働くが、乱世になると邪悪な英雄になる)

    ここから曹操の本当の戦いが始まる。

  • 【曹操ヒストリー中編 「改革で勢力を拡大する曹操」】
    乱世を極めてゆく漢帝国末期。
    董卓という武将が幼い皇帝を使い私利私欲のために国を動かしていた。
    これを許せない曹操や袁紹など多くの武将達が集まり、反董卓連合軍を結成。
    しかし、いざ最強の董卓軍が目の前に迫ると我が身をあんじて進軍を躊躇。
    内輪揉めまで始まる状況にあきれ果てた曹操は連合軍を離れ
    わずかな兵で董卓軍に挑む。しかし結果は惨敗。
    しかし大義を果たした曹操の名は天下に広がり多くの名士達が集結し勢力を拡大。
    2年後、董卓は自分の養子であった呂布に裏切られ殺される。
    これにより実質上 漢帝国は滅び、各地で天下取りの争いが激化する。
    そこで曹操は中華を統一すべく、2つの改革を起こす。


    <大義名分と兵力の獲得>

    曹操の改革①  皇帝を味方にする
    曹操は董卓亡き後、実権をなくし放浪する皇帝を保護。
    皇帝を手中に収めることにより、曹操は中華を統一する大義名分を得る。

    曹操の改革②  屯田制
    戦乱で暮らす場所がなくなった民へ
    土地や農具を無償で貸し出し屯田制を実施。
    これにより普段は農民。戦の時は兵士として  
    曹操は財源と兵力を同時に得ることに成功する。

    この時代を象徴する文が残されている。
    “蒼天すでに死す 黄天まさに立つべし”
    「漢帝国の命運は尽きた。新たな思想が立ち上がる時」
    つまり「乱世である今こそ革命を起こせ」ということ。
    曹操はそれを体現する時代の改革者となっていった。

    ●孫子の兵法が鍵 天下分け目の戦い
    官渡の戦いの前哨戦「白馬の戦い」をスタジオにて渡邉教授が解説。
    袁紹軍に劣勢の曹操軍が この時とった作戦が孫子の兵法の運動戦。
    運動戦とは、複雑に動き 兵力差がなくなった所で戦う戦法のこと。
    運動戦を用いた曹操は見事、袁紹軍に勝利する。
     

    【曹操ヒストリー後編 「赤壁の戦い そして 曹操の死」】
    赤壁の戦い後、曹操は新たな行動に出る。
    曹操の新しい国づくり、それはこれまで清廉潔白な人材が官僚となれた
    儒教の考え方の改革。どんな悪人でも才能があれば官僚にする、
    その才能を推し量る基準として「詩」を作らせた。
    曹操は国の改革を進める中、65歳で病死。

    曹操はこんな遺言を残している。
     “老騎櫪に伏すも 志は千里に在り” 
    つまり、死してなお志は中華統一にあった。

バカリズム 今夜の総括

「一番印象に残ったのは・・・ルンルンの渡邉先生。人は好きなものに ここまで没頭できるんだなと。」

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