第60回 陶芸のたしなみ
2019年10月05日 放送
“陶芸のたしなみ”をおさらい
◎中国・景徳鎮
世界的に有名な陶磁器の名産地
この街が発達した理由は
陶芸に適した純白の粘土カオリンと松が豊富にとれたため。
ドイツの磁器ブランド「マイセン」は景徳鎮の磁器や有田焼を手本にしたと言われ、
景徳鎮の磁器は世界中に大きな影響を与えた。
◎織田信長とやきもの
1563年織田信長が統治する尾張(現在の愛知県西部)で、
陶器を扱う商人が自由に行き来できるよう瀬戸に制札を発給。
そのため瀬戸のやきものはますます発展。
この制札は現在やきものの通称となっている「セトモノ」という言葉が登場する資料としては
最古級のもの。
◎ 板谷波山
理想の陶磁器を作るためには一切の妥協を許さなかった近代陶芸の開拓者
極貧時代、妻が少し傷のある作品を売ろうとしたが頑なに拒んだ波山は、
夫人が買い物に出かけた留守中少し傷のある作品を全て割ってしまった。
満足のいかないものでお金をもらうことに我慢ができなかったと言われている。
◎たしなみスト
美術商 柿沼健一(かきぬま・けんいち)さん67歳。
銀行員時代、骨董品店で魯山人の作品を見て一目惚れ。
銀行員として働いていた時に3000万円ものお金を 陶芸収集に使ってしましました。
ますます高まる陶芸への興味。
ついに安定した銀行員をやめて 美術商になってしまいました。
◎人間国宝が作った作品をたしなむ
▼茨城県笠間市
江戸中期から焼き物の街として栄えてきた
かつてこの周辺でとれる粘りがあり細かい粒子の粘土を使った笠間焼は
丈夫で甕(かめ)や擂鉢(すりばち)などの日用品の生産が盛んに。
また、伝統や格式にとらわれず、陶芸家の自由な作風を受け入れてくれるのも笠間焼の魅力。
◎茨城県陶芸美術館
これまでに認定を受けた人間国宝34人全ての作品にくわえ、
900以上の所蔵品があり、全国でもトップクラスのクオリティを誇る。
◎人間国宝 十四代 酒井田柿右衛門
酒井田家は有田焼の名家
有田焼の創成期は青色一色の絵付けであったが
1640年代に初代柿右衛門が日本で初めて赤色と言われる上絵の技術を開発した。
その血脈と酒井田柿右衛門の名前を300年にわたり受け継いだ14代目が人間国宝として認定。
◎人間国宝 三代 德田八十吉
将棋・釣り・社交ダンスなど多趣味
「自分の上の世代の作風をまねしたくない。僕は僕の作品を作る」
とあえて絵から離れて色と向き合った人物
▼彩釉磁器(さいゆうじき)
複数の釉薬を焼きつけ豊かな色絵の具を使う技法のこと。
色の濃淡や色彩の対比等によって美しさを表現
▼九谷焼き
「九谷五彩」と呼ばれ、
緑・黄・紫・紺青・赤の色絵の具を活用して見事な絵を描いたものが特長。
◎三代徳田八十吉から若手陶芸家へのアドバイス
「新しいことをやれとは言わない 好きなことをやればいい」
◎人間国宝・松井康成(まついこうせい)
明治大学を卒業後、お寺の住職として働きながら境内の窯で作品を作っていた
陶芸作品ではマイナスと言われるヒビ割れをあえて作り、それまで誰も思いつかなかった独創的な芸術作品を作り上げた人物
◎近代陶芸の父 板谷波山
自ら作品を壊してしまうため残っている作品がとても少ない。
そのため、希少価値が高く高額な値がつくことでも知られている。
▼葆光(ほこう)
光を包むという意味。
艶消しの効果によって霧が立ち込めたような淡い色を表現しています。
◎北大路魯山人
画家、書道家そして陶芸家として多彩な顔を持つ日本が誇る芸術家。
▼織部焼き
味わい深い緑色と少しいびつな形状が特徴
▼釉薬
陶器に塗って色艶を出す
◎第2の人生で陶芸をたしなむ
▼戸田浩二さん (45)
笠間市で陶芸家として活躍する
アメリカニューヨークで個展を開催し世界が認める、究極の美を追求する陶芸家。
陶芸作品を作るため18年前800坪の土地を購入
土地の安さ、陶芸に必要な粘土や薪の調達に不便しないことからここ笠間に家を建てた
▼粘土の質を舌ざわりで見極める
不純物が入ってない良質の粘土は生チョコのようになめらかな舌触りが
バカリズム 今夜の総括
「僕が陶器を作るなら・・・陶器の皿に置く陶器の焼き魚みたいな」