放送内容

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第199回 パラ卓球 別所キミヱ

2020年1月19日

パラ卓球 別所キミヱ。
2004年のアテネを皮切りに、北京、ロンドン、リオとパラリンピック4大会連続出場。世界ランキングは8位と、未だ衰えることを知らない脅威の72歳。
そんな彼女には、誰にも負けない武器がある。

「相手の意表をつくバタフライショット」

蝶のように舞う、予測不能のボール。
そして、相手にスキがあると見れば…すかさず攻撃。
そこには、幾多の戦いで鍛え抜かれた抜群のコントロールが。
さらに、超人・別所の もう一つの顔…
目指すは、5度目のパラリンピック。
その矢先、突如襲った予期せぬアクシデント。
苦難を乗り越え、新たな攻撃スタイルを見出す72歳。
その進化を追った。

生まれは広島。
8人兄弟の末っ子。
その後、20歳で結婚し、2人の子供に恵まれるも43歳でガンを患い、闘病。車椅子生活に。

別所「車椅子になった時に、何をしようかなと思った時に新聞の記事で障がい者スポーツを知った。その当時は少なかったんですけど競技もただ屋内でできるからいいなかって。軽い気持ちでやったのがきっかけです。」

45歳の時に始めたパラ卓球。
国内外の大会で次々と結果を残し…。
2004年。アテネパラリンピックに初出場。この時、56歳。
さらに還暦で挑んだ2008年の北京大会は、5位入賞。
続くロンドン大会でも5位。
そして2016年。4大会連続出場となるリオ大会では日本選手団、最年長の68歳。その印象的な外見と、明るいキャラクターから一躍、世間の注目を集めた。
リオでも5位に入り、3大会連続入賞。自分よりも若い世代と対等以上に戦う秘訣はあるのか?

別所「やっぱり、試合の鬼の形相が生きているのかもわからないですね?向こうはね年寄りに負けたくないと思っているかわからへんけど。私は歳を意識してなくて、でもなんやかんや言うたって甘いところ攻めても意味がないので、(難しいところに)入れるしかないんですよ。返すことしか。この返し方かな? 自分の球にしてしっかり返せば(相手は)打てないやろし」

「自分のボールにしてしっかり返す」という別所選手。実際の試合を見てみると、相手の隙を突き、届かないところを狙っている。
さらに、素早いラリーから、突如高くゆっくりとしたボール。これで相手を翻弄。勝負どころで繰り出す「相手の隙を鋭く狙うボール」。そして「高くゆっくりしたボール」。
これこそが 別所選手のストロングポイント、『相手の意表をつくバタフライショット』。
横一列に並べたボールを狙う。これこそが、別所選手のプレイスタイルを極める基本練習。
相手の隙をつき、半径5センチ以内を射止めるバタフライショット。
その精度はこの練習の賜物、瞬時に相手のウィークポイントへ確実に叩き込んでいた。
さらに、別所選手ならではの練習が高くボールをあげる羽根つきのような練習。
あえてスマッシュでは決めず、高くふわっとしたボールを相手の届かないところへ返すプレー。一見、早く打つより簡単そうにみえるが。
素早いラリーを展開中、ゆっくりと打ち上げるこのボールで相手のリズムを崩していた。
しかも、驚くのはボールの行方。
バックスピンをかけ、落下と同時に自陣へボールが戻る、究極のテクニック。
これまで、国内外の並み居る強豪を相手に力ではなく、技術で打ち勝ってきた別所選手。
足に力が入る相手と、どう戦うべきか?
考え抜いた結果、「相手が届かないところを徹底的に狙い撃つ」戦い方へ。自らの障がいを逆手にとった、別所選手独自の攻撃スタイル。

27年前。
障がい者スポーツと出会い、卓球を始めたのが、障がいのある方のリハビリ施設。持ち前の明るさで卓球チームまで作ったそう。
卓球の虜になった別所選手、昼間は仕事をしながら夜はここで練習。
現在は定期的に通い、パラ卓球初心者への指導も行なっているそう。

別所「教えるとか、そういうことではなくて。私も勉強になりますもんね、いろんな意味で。立っている人でも動けない人だったら立つ位置とか。フォームとかも障がいをもっている方のいろんなやり方がある」

指導することで、新たな発見も。そして何より、基礎を見直すことが進化への一番の近道だと、別所選手は話す。
周囲の期待を背負い、目指すは5度目のパラリンピック。
その出場権を大きく左右するのが、世界ランキング。
パラ卓球は、今年3月までの成績で決まる。
長い間、世界ランク上位に入っていた別所選手。しかし2年前の秋、突如として名前が消える。

わずか3ヶ月で2度の事故にあい、致命的な傷を負った別所選手。ラケットを握ることはおろか、卓球を続けられない状況にまで追い込まれてしまう。

別所「ショックやったね、やっぱり。そうですね、やっぱり。最初の事故の時はまだねそんなに飛ばされて、車椅子壊れてしまったんですけど。腰打って、大変だったんですけど。あれに(2度目の事故)した時、もう手の力なくて手がだるいし、字が書けなくなったりして。私は復帰しようと思っていましたね。悔しいから、事故にあってから、そのまま萎んで行くという自分が嫌だったので」

不屈の精神力の持ち主、別所選手。
リハビリに励み、昨年3月ついにパラ卓球日本一を決める大会で表舞台に帰ってきた。ラケットを握る姿は、およそ半年ぶり。
この大会、別所選手が見事日本一。
さらに5月のスロベニアから再び国際大会に復帰。リハビリをしながら、様々な試合で勝ち抜き世界ランク8位。徐々にポイントを上げていった。
そして東京パラリンピックへ向け、別所選手が新たに取り組んでいる練習が。
ラリーの途中、ラケットを左手に持ち替えて打つ。
事故をきっかけに、利き手とは逆の左手もマスターする超人ぶり。この進化を武器に目指す東京では?

別所「私はねメダリストと言われたいなと思っている。色は何色でもいいんですよ。メダリストと呼ばれたい。メダリストの別所キミヱ選手ですっていう。頭にメダリストが欲しいんですよね」

自信のほどは?

別所「わかんないんですよね。こればっかしは。もうやるしかないかなと思います。今を一生懸命やっていたら繋がると思うので」

卓球、いつまで続けますか?

別所「命のある限り卓球をやります」

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