放送内容

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第215回 車いすラグビー 乗松聖矢

2020年6月14日

2020年1月、熊本県。
東京パラリンピックで金メダルを期待される選手が一人練習に励んでいた。
車いすラグビー日本代表、乗松聖矢選手。
車いすラグビーの競技人口は日本に100人ほど。
少ない理由は、両手両足すべてに障がいがないと参加が認められないため。

乗松「肘から先の筋力が全然ない。指は全く動かない、握力もゼロ。膝から下の筋力がない、足を前に蹴ることもできない。ふくらはぎも筋力がない」

乗松選手の所属クラブは福岡のチーム。
その集まりは週一回。
それだけでは練習量が足りないため、地元・熊本で週に3~4回、個人練習を行っている。
乗松選手が活躍する車いすラグビー日本代表。
リオパラリンピックで史上初の銅メダルを獲得。2018年の世界選手権では悲願の世界一に輝いた。
その原動力になったのが乗松選手の高いディフェンス力。たとえ世界ナンバーワンプレーヤーが相手でもシャットアウト。

乗松「金メダルをとって満員のお客さんと一緒に喜びを分かち合いたい」

そう語る彼には車いすラグビーをする理由がもう一つ。

乗松「生きていくため トレーニングしないと生きていけない」

車いすラグビーに人生をかけた乗松聖矢、30歳
その、あくなき挑戦に密着した。

2019年10月、東京パラリンピックの前哨戦として挑んだワールドチャレンジ2019。
当時、世界ランク2位の日本代表が準決勝で戦ったのは世界ランク1位のオーストラリア。
乗松選手の背番号は22。スターティングメンバー。
コート上の選手は1チーム4人。
前方へのパスが認められ、トライラインを越えると1点。得点パターンはこれのみ。1点をめぐる攻防が車いすラグビーの醍醐味。
この試合で乗松選手はオーストラリアの絶対的エース、ライリー・バット選手をブロック。味方の得点を演出。さらに自ら得点するシーンも。
1点差で敗れはしたものの、乗松選手の攻守に渡る活躍が光り、世界の強豪を相手に奮闘した日本。銅メダルを獲得し、乗松選手は大会のベストプレーヤーに選ばれた。

3人兄弟の末っ子として熊本県に生まれた乗松選手。
シャルコー・マリー・トゥース病と診断されたのは2歳のとき。
手足などの末端の筋肉から落ち、次第に動かなくなっていく進行性の病。
様々なスポーツを経験した乗松選手、23歳で車いすラグビーに出会うと。
その3年後…。
リオパラリンピックで主力メンバーとして活躍。銅メダルを獲得した。

乗松「うれしかった。うれしさと終わった安堵感。そこで負けていたら手ぶらだった」

そんな彼のストロングポイントが…「瞬発力を活かしたディフェンス」。

今や日本代表に欠かせない武器となっている乗松選手のディフェンス。
リオパラリンピックで共に戦った岸選手は乗松選手についてこう語る。

岸「ローポインター(乗松選手)はローポインターの仕事をしっかりやる。そのうえでトライなど広くやれるのはすごい」

車いすラグビーは障がいの程度によって、各選手に持ち点が設定されている。
コート上4人の持ち点の合計は8点。これにより、障がいの軽い選手だけでなく、重い選手にも出場機会が生まれる。乗松選手の持ち点は1.5点。障がいが重い、ローポインター。一方、障がいの軽い選手はハイポインターと呼ばれる。
ローポインターの主な仕事は相手を封じること。
乗松選手は、相手のハイポインターをもブロックし、味方をアシスト。しかし、ローポインターにとってハイポインターを止めるプレーは簡単なことではない。トップスピードではかなわないローポインター。
ハイポインターのトップスピードに対抗するため磨いた武器「読み」と「瞬発力」。地道な練習を行うことで世界のエースと渡り合っていた。

東京パラリンピックへ向け、練習に励む乗松聖矢選手。
この日、乗松選手がいたのは地元、熊本県のスポーツセンター。
背中の筋肉を中心に鍛えていた。
乗松選手の障害は手足などの末端の筋肉から落ちる進行性の病。

乗松「トレーニングしてなかったら確実に筋力落ちていく。自分が運動するのはスポーツを行うためにも大事だけど、生きていくため。トレーニングしないと生きていけないし、ただ筋トレやるだけだとつまらない。スポーツを通してやる。一石二鳥」

支えてくれた人たちのためにも、東京パラリンピックでは高い目標を掲げる。

乗松「リオパラリンピックでは果たせなかった金メダルを目標に、金メダルをとって満員のお客さんと一緒に喜びを分かち合いたい」

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