放送内容
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2020年6月28日
“失ったものを数えるな、残されたものを最大限に生かせ”
この言葉は…『パラリンピックの父』、グットマン博士が選手たちに伝えていたとされる言葉。
彼がパラリンピックの礎を築いた場所。それは・・・イギリス。
ロンドン市内から1時間ほど離れた街に、「パラリンピック発祥の地」と呼ばれる場所がある。
ストーク・マンデビル病院。
かつて第2次世界大戦で負傷した兵士のリハビリ施設だった。
1948年、この病院の一角で車いす選手たちによるアーチェリー大会を開催。この大会をきっかけに、現在のパラリンピックへと発展してきた。
病院の敷地内には大会の創始者、グットマン博士の銅像が建てられている。
彼が当時、治療と社会復帰を目的にスポーツをリハビリに取り入れた。
障がい者スポーツの発展に大きく貢献したグットマン博士。彼の精神は現在も受け継がれ、ストーク・マンデビル病院の裏には、競技場が…。
この地を舞台に数多くのパラアスリートが活躍。半世紀以上経ったいまもなお、伝統が脈々と受け継がれている。
そんなイギリスで開催されたのが2012年のロンドンパラリンピック。
チケットはほぼ完売し、テレビも連日、生中継。世界で38億人が熱狂するなど、パラリンピック史上、最も成功した大会と言われている。
ロンドン大会から8年。
新型コロナウイルスで厳しい時代を迎えるいま、来年の東京大会の成功は世界に明るいニュースとなる。
そこで今回は2017年に取材した今なお残るロンドン大会のレガシーからパラリンピック成功のヒントを探る。
パラリンピック発祥の地・イギリスを拠点に戦う日本人パラアスリートがいる。
向かったのはロンドンから北へおよそ400キロに位置する、工業都市・ニューカッスル。
鈴木孝幸選手はアテネからロンドンまで3大会連続でメダルを獲得したパラスイマー。去年9月の世界選手権では出場した5種目全てで、メダルを獲得。東京での金メダルが期待されている。生まれた時から四肢に欠損がある鈴木選手。右腕は肘までで、左腕は指が3本。両足は膝から上しかなく、長さも違います。6歳から水泳を始め、今年で27年。
自分の体に合う泳ぎ方を追求してきた鈴木選手のストロングポイントは、『スピードを生む独自の泳法』。
中でも得意とするのが平泳ぎ。
鈴木「よく、蛇のようにって言うんですけど。うねるような、波に乗るような動きができれば、抵抗を少なく、かつ水面上を這うように泳げるんじゃないかなと」
この動きを支えるのが、柔軟性。ふだん鈴木選手は背中を3か所に区切って、独自のストレッチを行っている。
腰から背中への連動により、水中での蛇のような泳ぎが可能になる。このストロングポイントを武器に去年は平泳ぎと自由形で世界ランキング2位。東京では複数の金メダルが期待されている。
そんな鈴木選手は2013年、所属会社の留学制度を使いパラスポーツの盛んなイギリスへ渡った。
現在はノーザンブリア大学の大学院生として、学業と競技を両立している。
イギリスでの生活は?
鈴木「すごくバリアフリーですしメトロや電車乗るのも苦じゃない。
BARにも基本的に障がい者用のトイレがある。とことん飲みたいときは飲める」
ここイギリスで、鈴木選手がアスリートとして感じたことは?
鈴木「自分がパラリンピックに出て、ロンドン(大会)にも出てメダルを取った話をしたときに本当にオリンピック選手を見るような眼差しで僕を見てくれて、スポーツ選手として憧れてもらえるような。
すごくパラリンピックのことが浸透していると感じた。例えば、大学のインカレのような大会でも、障がい者が参加できる。
パラリンピック選手をオリンピック選手と同じような、本当にイコールに近い形で見ていて 制度も整っているのは大きい」
さらに、イギリスにはパラアスリートを育成するための、ある取り組みも…。
ロンドンから北へ、電車で1時間半ほどにある『ラフバラー大学』。
実はここ、世界大学ランキング・スポーツ部門で1位に輝く名門校。
その独自の方針が…
ラフバラー大学 副学長「私たちはオリンピック選手とパラリンピック選手を分けて考える時代をとうに超えた世代だと思います。それが普通、当然のことと捉えています」
ラフバラー大学からはパラリンピックのメダリストも輩出。
パラ陸上・走り幅跳びで2大会連続の銀メダルを獲得したステファニー・リード選手。
ステファニー「このセンターは陸上競技において最高レベルよ。オリンピック選手もパラリンピック選手も同じ高いレベルの施設を利用することができるんです」
また、選手以外にもパラアスリートの指導者を育成するコースがある。
さらに国内には、選手の強化につながるこんな施設も。
専用の車いすに乗れば、そのまま水中まで入れるようになっている、世界でも珍しいバリアフリーのプール。
障がいがある人も快適に過ごせるイギリスならではの環境。
そして、イギリスではパラスポーツを盛り上げるために、独自の大会も開催。2005年から世界トップレベルの選手を集めて行われた『パラリンピックワールドカップ』。この大会の特徴は、陸上・水泳・自転車・車いすバスケットボールの4競技限定で行われているところ。
こうした地道な取り組みが実を結び、2012年。
自国開催のロンドンパラリンピックでは、国別で3番目に多い34個もの金メダルを獲得。その功績をたたえ、大会を盛り上げた金メダリストたちにあるものが贈られた。
その活躍を祝して、郵便ポストを統括する「ロイヤル・メール」が、金メダリスト全員の出身地にあるポストを金色に塗り替えた。
当初は期間限定の予定が、あまりの好評により、このまま残すことになったそう。ウェブ上にはイギリス全土にある設置場所を示した地図もあり、金メダリストを称える金のポストは、観光スポットの1つとなった。
まさにロンドン大会が残した遺産。レガシー。
2013年からイギリスを拠点にするパラ水泳・鈴木孝幸選手。しかし今年、新型コロナウイルスの世界的大流行。
いま、鈴木選手はどのように過ごしているのか?
鈴木「(拠点にしている)イギリスのトレーニング施設がコロナウイルスの影響ですべて閉鎖になったので、帰国は3月末ですね。
千葉県の家族の家に一緒に住まわしてもらっています。
練習できるプールがなくて、本当にいろんなことをやっていたんですけど、主にはずっと課題にしているコアの強化、体幹の強化。腹筋周辺をいじめるようなトレーニングをすごくやっていました、重点的に。
これがどう水泳に左右するのかは楽しみでもあります」
パラリンピックが1年延期され、34歳で東京に挑む鈴木選手。
鈴木「正直年齢のこともあるので自分にとっては最後のパラリンピックになるかなっていう思いもあったので、そういうところを突き詰めていくと1年延びるっていうのは、ちょっと大きな出来事になってしまうんですけど。
本当に願わくばオリンピック・パラリンピックの前に収束してまた皆さんがスポーツの祭典を見る・集中できるような環境になるといい。
選手としてはやれることは1つしかないので、しっかりと準備をして、金メダルを目標に今、トレーニングを頑張っています」