放送内容

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第211回 パラ・パワーリフティング 三浦浩②

2020年4月12日

パラ・パワーリフティング、三浦浩55歳。
パラリンピック2大会連続出場。
初出場のロンドン大会では9位。51歳で出場したリオでは、日本人最高の5位入賞。
見据える先は、世界の頂。
彼には、誰にも負けない武器がある。

「腕力に頼らないリフト」

下肢に障がいのある選手が、上半身だけで力勝負をする、パラパワーリフティング。上半身のパワーを最大限に発揮するためにハードトレーニングで鍛え上げた自慢の背筋。
順風満帆にみえた競技生活。
しかし去年、悲劇が…
試練を乗り越え、進化を続ける55歳、その挑戦を追った。

神奈川県横浜市。
三浦選手が通うジムは世界チャンピオンを数多く輩出しているパワーリフティング界の虎の穴。三浦選手は週4日、健常者の猛者たちと練習に打ち込んでいる。

東京都墨田区出身。
中学時代はギター少年だった三浦選手。ある人の存在が人生を変えた。

三浦「中学時代になってちょうど長渕剛さんがデビューしてカッコイイなと思ってそこからコピーしだした。高校卒業して社会人になった時に「STAY DREAM」っていうツアーがあって、ギター1本で歌っていて、ただ、その周りで働いている人が上から見えて、「何だあれは?」こういう仕事があるのかと思って」

三浦選手は勤めていた会社を辞めライブスタッフの道へ。   
そして念願叶い、長渕さんのライブにも関わるように。
しかし、2002年。
愛媛県で機材の搬出中、400キロのフォークリフトが倒れ下敷きに。
脊髄を損傷。
そんなとき一本の電話が。

三浦「入院して一週間後くらいに病院に長渕さんから電話がきていきなり『お前どうなんだ?早く、そっちにいないで帰ってこい!自分が東京の病院に転院する手続きしてあげるから準備して早く出てこい!』って話になって」

長渕さんの助けもあり職場復帰したちょうどその頃、もう一つ運命の出会いが。

三浦「アテネパラリンピックがちょうど始まって、その時にパラ・パワーリフティングという競技があって、これ(パラ・パワーリフティング)は僕に合っているなと思った。」

パラパワーリフティングを始めた三浦選手。
なんとわずか2年で日本新記録を達成。
47歳で初めてパラリンピックに出場すると9位。
2015年には135キロを挙げ、日本記録を更新。
さらに51歳で迎えたリオでは日本人最高の5位入賞。今や国内では敵なしの全日本選手権9連覇中。
東京パラリンピックのメダル獲得に向け、日々猛特訓に励んでいる。

三浦選手が行う、パラ・パワーリフティングは下肢に障がいを持つ選手たちによる力比べ。障がいの程度によるクラス分けは無く、体重別で行われる。正式種目となったのは、1964年の東京パラリンピック。上半身のみで力比べをする、パラリンピックならではの競技。
リオパラリンピック5位 三浦選手の練習を見ていると、なんとも独特な姿勢。    この腰を浮かせたフォームから生まれるパワーこそが、三浦選手のストロングポイント。

「腕力に頼らないリフト」

自慢の武器はどのようにして生み出されているのか?
普段から練習をサポートしている、パワーリフティング界のレジェンド、元世界女王の吉田寿子さんにバーベルを上げるための重要な筋肉を聞くと…

吉田「健常者の場合は足が踏ん張れるので足も使ってベンチプレスをやるんですけども、障がい者の方の場合は使える筋肉がどこかっていうのが人それぞれで全部違う。健常者と同じようには考えられない。背中が弱いと(バーベルを)持ったときにフラフラしてしまう。背中がガチっと決まってしまうと(バーベルを持ち上げる)動きが簡単にできる訳なので、やっぱり背中は大事ですよね」

実は、最も重要なのは背中の筋肉。

三浦「ベンチプレスだとパワーフォームっていわれて、アーチ組んで肩甲骨というか背筋だったりとか、そういうところで押し上げる。健常者にパワーフォームを教えてもらってやり続けた結果 ああいう体(フォーム)になった」

現在55歳。練習で酷使した体にはケアも欠かさない。
マラソンの金メダリスト、あの高橋尚子さんなど多くのアスリートを診てきた金先生。
三浦選手の背筋について伺ってみると…

金「背筋を駆動して上げるそういう練習の繰り返しで、たぶん他の選手よりも繰り返しの練習、相当やられてるので、それで(背筋が)強くなってきた。これは作り上げたものだと思いますね」

この日は疲労回復のため、電気を使った鍼治療をおよそ20分。
体のケアを繰り返しながら、日々練習に励む三浦選手。
しかし去年9月、競技生活を脅かす悲劇が。

三浦「胸を高くするためにお尻をベンチ台に思いっきり押し当ててねじ込んでいた。それでお尻の中から褥瘡(床ずれ)になって炎症して手術しなくちゃいけない状況になっちゃった」

東京パラリンピック出場を見据えていた大事な時期に3か月の入院生活を余儀なくされた。
入院中も筋トレに励んだ三浦選手。
退院からわずか2か月、今年2月の大会を復帰戦と定めた。

三浦「退院してから最初はバーベル80㎏しか上がらなかった。会社の人たちが自分の試合を応援してくれたりとか見ることに意義があったりだとか、一緒にジムで練習して、勝ち負けではなくて、『今自分はここまで戻そう』と設定するとみんながそれに協力してくれるので、やっていくうちに試合の一週間前くらいに110kg上がるようになって見えてきたね、これ」

調整と試合感を取り戻すために…
復帰戦の舞台は10連覇のかかった「全日本選手権」。 
三浦選手が出場するパラ・パワーリフティング。ルールは非常に厳しく、胸まで下ろしたバーベルは一瞬止めてから上げる。途中で止まったり下がったりしたら失敗。さらにバーベルは平行に移動させないといけない。試技は3回、その中で成功した一番重い記録で競う。 

いよいよ三浦選手の1回目。
重量は100キロ。
難なく成功。
怪我のブランク感じさせない順調な滑り出し。
続いて2回目の試技。
パラリンピック標準記録でもある105キロに挑戦。
1回目より軽々と持ち上げ成功。
そして最終3回目は復帰戦の目標としていた110キロに挑戦  
危なげない試技で見事クリア。3回の試技を全て成功して見せた三浦選手。
復帰戦で優勝、そして10連覇達成かと思えたが。
なんと西崎哲男選手が三浦選手の持つ日本記録を500グラム上回る135.5キロを上げ日本新記録を樹立。
三浦選手、全日本選手権10連覇は逃したが、復帰戦としては納得の銅メダルを獲得。復活の手応えを感じた三浦選手。次なるステップに選んだもの、それは…「新フォームの習得」。

三浦「重さが増していくにあたって、色々フォームをいじっているうちに今までやってきた癖が抜けてナチュラルになった」

三浦選手特有の腰を浮かせたフォームが一体どのような進化を遂げたのか?

三浦「前は背中で思いっきり押すというイメージ。今は背中で受け止めて自然に押し返す。それが上手くできるときは何キロでやっても軽く感じる」

お尻ではなく肩を押し込むことによって、腰のアーチが大きくなった。
こうすることで余計な力を必要とせず、手を伸ばすだけでバーを理想的な位置へと移動できるように。
この新しいフォームを完全に身に付けるため、日々猛練習に励む三浦選手。
そして、ストロングポイントの「腕力に頼らないリフト」を最大限に発揮するため、入院生活で低下した背筋も強化。その結果、背筋は退院後わずか4か月で去年と変わらないレベルまで回復。

三浦「日本記録の135㎏を出したときは2年前に褥瘡の手術をして体が1回リセットされた。今回もリセットになってしっかり自分の中で上手く調整できたら135㎏を超える自信はある。新しいフォームが手に入ってきている感覚がある。そこでもう少し攻めていきたい」

2月の復帰戦では110キロまでしか上げられなかった三浦選手。しかし、新フォームでは120キロに挑戦し、成功。
さらに、退院後初の125キロにもチャレンジ。
またしても軽々と成功。新フォームの手応えを掴んだ三浦選手。
自己ベスト135キロに迫る130キロにも挑戦。
手術から半年、新フォームで130キロもクリアした三浦選手。

三浦「パラリンピックは『何㎏ではなくて何位になるか』だと思う。いま自分ができる最大限の記録と試合が進行しているときに『何㎏だったら何位になれるのか?』そこにどう調整していけるのかというところ。やっぱりメダル取りたい。メダルが駄目だったらリオで5位になっているので4位になりたい。1つでも上にいきたい」

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