ストロングポイント

毎週日曜 17:30~18:00放送

放送内容

第167回 車いすバスケットボール 藤本怜央②

2019年5月12日 放送

車いすバスケットボール日本代表、藤本怜央。
日本のエースが誇るストロングポイント…

「どこからでもゴールを射抜くシュート力」

コートのどのエリアからでもゴールを射抜く正確無比なシュートを武器に、長年日の丸を背負い戦ってきた。
しかし…競技人生を揺るがすほどの大きなケガ。
東京パラリンピックまであと1年。
大切な家族に支えられながら。
世界最高峰の舞台、ドイツで戦う日々に密着。
全ては、2020年のメダル獲得のため。
世界を見据え、世界と戦ってきた藤本怜央、最後の挑戦に迫る。

ドイツ北部の港町、ハンブルク。
東西を結ぶ要所として栄えた、ヨーロッパ有数の港湾都市。
ここが藤本選手のホームタウン。
ドイツでのプレーは4シーズン目。

藤本選手は小学3年生の時、事故で右足を切断。
それでも恵まれた体格を生かし、サッカーなどスポーツを続けてきた。
そして高校3年生の時、出会ったのが車いすバスケットボール。才能を一気に開花させ、現在は世界最高峰のドイツリーグでプレーするまでに。
藤本選手が所属するのは、強豪・BGバスケッツ・ハンブルク。
チームの練習では細かい戦術を含め、コミュニケーションは全て英語。チームメートとも流暢な英語でやり取りする。
チームには各国の代表選手も多数所属。
指揮官もドイツ女子代表をパラリンピックで3度のメダルに導いた名将。
そのヘッドコーチからも絶賛される藤本選手のストロングポイント、「どこからでもゴールを射抜くシュート力」

その圧巻のテクニックは日本代表ではもちろん、世界最高峰のドイツリーグでも健在。片輪を上げながら放つ得意技、ティルティングシュートに、3Pシュートも。
自慢の武器で世界を相手に戦ってきた。
しかしそのシュートの陰には、バスケ人生をかけた壮絶な戦いがあった。

藤本「最初に痛み出したのは2015年の夏。ちょうど予選があるかないかぐらいリオの」

突如現れた右ひじの違和感。
しかし大事なリオ大会を前に休むワケにはいかなかった。
痛み止めを打ち違和感をごまかしながらプレー。
それを続けた結果…

「変形性肘関節症」。
ひじを酷使することにより軟骨が変形し、骨棘と呼ばれるトゲが形成され痛む症状。ひじに負担をかける野球選手に発症例が多く、中には引退に追い込まれる選手もいるほど。
迎えたリオパラリンピックでも思うようなプレーができず、掲げていたメダル獲得には遠く及ばなかった。
そして、藤本選手は悩みに悩んだ結果、リオの翌年、右ひじにメスを入れる決断を下す。
待っていたのは、想像を絶するリハビリの日々。
押し寄せる不安と苦しみ、それでも前を向いたワケは…

藤本「自分の利き腕が本当に良くなるかわからない。まさにギャンブルだったんですけど、それにメスを入れてもう一回復活するっていう覚悟を決められたのは2020年が東京じゃなかったら絶対にない」

全ては東京パラリンピックのために。
懸命にリハビリを重ねた藤本選手。
そして手術から半年で復帰を果たすと術後最初のシーズンに選んだのは、世界最高峰のドイツリーグ。
あえてレベルの高い場所でプレーすることでシュートの感覚を研ぎ澄ましていく荒療治に打って出た。

さらにシュート力を取り戻すため新たに取り入れたトレーニングも。
それが、バランスボールに乗りながらの、シュートフォーム確認。これまで腕の力に頼ってシュートを打っていた藤本選手。そこで、全身を使ったシュートが打てるようフォーム改造に取り組んでいた。

フォーム改造の成果は早速数字にも表れている。
今シーズン、ドイツの名門においてリーグ戦チーム1位の355得点、成功率も56%と、手術から1年半。かつてのシュート力を取り戻しつつある。

そして先月。藤本選手の活躍もあり、ハンブルクはリーグチャンピオンを決めるプレーオフに進出。
すると…準決勝3試合で45点をあげる活躍。リーグ最多の優勝13回を誇るヨーロッパ屈指の強豪、ランディルから実に2年ぶりの勝利を挙げるなど、チームを牽引した。

完全復活に向け突き進む藤本選手。
その支えとなる心強い存在が、妻の優さん。
日本での所属チーム、宮城MAXでマネージャーを務めていた3歳年下の優さんと10年以上のお付き合いを経て、2014年に結婚。
これまで日本とドイツ、離れて暮らしていたが、今シーズンからは共にドイツに渡り、夫婦での生活がスタート。
優さんはドイツに渡ってから、スポーツフードアドバイザー、食育アドバイザーの資格を独学で取得し、食事面から藤本選手を支えている。

ドイツ・ブンデスリーガでのプレーも4シーズン目。
海外でプレーを続ける理由を聞いてみた。

藤本「戦うステージがそもそも日本じゃなかった僕の感覚の中で。代表でエースでやる義務の方が大きい」

高校3年生で車いすバスケをはじめ、わずか1年で日本代表に選出された藤本選手。以来16年間、エースとして常に日の丸を背負ってプレー。
しかし、世界の強豪とは大きな差が。藤本選手はその壁をまざまざと見せつけられてきた。
日本を出て世界最高峰・ドイツリーグでのプレーを選んだのは、日本代表が世界に勝つ答えを見つけるため。

日本代表に捧げた車いすバスケ人生。しかし、人生をかけて引っ張ってきた日本代表にも時代の波が。リオが終わり再出発した日本代表はメンバーを刷新し、多くの若手選手を招集。

世界の高さ・強さに対抗するため、全員で攻守の切り替えをフルコートで素早く行う、トランジションバスケに舵を切った。奇しくも藤本選手が肘の手術で離脱していた時期の出来事。

その影響が如実に出た試合が、去年8月に行われた世界選手権。
日本は順位決定戦でヨーロッパの強豪・オランダと対戦。重要な一戦だったが、藤本選手の姿はベンチにあった。
日本が目指す素早い攻守の切り替えから、若手選手が積極的にゴールを奪いチームをけん引。見事1点差で勝利。これまで不動のエースだった藤本選手の出場はわずか2分、無得点に終わった。

常に日本が世界で勝つための答えを求め、エースとしてその重責を背負い戦ってきた藤本選手にとって、自分が出なくても世界に勝てる日本代表の姿は喜びでもあった。

世界選手権後、ハンブルクのチームに合流した藤本選手。
そこには誰よりも攻守の切り替えを素早く行う藤本選手の姿が。
自分がいれば、日本はもっと強い。
それを証明したい…

藤本「代表としては2020年で僕も37歳だし、その先見て頑張ろうとは全然思ってないんで、そこが最後になるかなと思うんですけど。2020年までだったら何が何でもやるっていう気持ちが昂るんですよ」

全ては2020年、表彰台の一番高い場所を勝ち取るために。
藤本怜央、35歳。
最後の挑戦が続く。

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