ストロングポイント

毎週日曜 17:30~18:00放送

放送内容

第156回 パラ・パワーリフティング 三浦浩

2019年2月24日 放送

パラ・パワーリフティング 三浦浩、54歳。
パラリンピック2大会連続出場を果たし、ロンドン大会では9位。
51歳で出場したリオでは日本人最高の5位入賞。
現在、世界の舞台で戦う彼には誰にも負けない武器がある。

「腕力に頼らないリフト」

下肢に障がいがある選手が上半身だけで力勝負をするパラ・パワーリフティング。
上半身のパワーを最大限に発揮できる三浦選手。それを支えているのはハードなトレーニングで鍛えあげられた「背筋」。
さらに研究ではパラスポーツ選手の「脳の使い方」に驚きの結果が。

東京都墨田区生まれ。
中学時代はギター少年だった三浦選手、ある人の存在が人生を変えた。

三浦「中学時代になって長渕剛さんがデビュー。カッコいいなと思ってコピーしだした」

長渕さんの音楽に引き込まれ、憧れの人の近くで働きたいと思うように…
三浦選手は勤めていた会社を辞め、ライブスタッフの道へ
1990年、念願叶って長渕さんのライブにも関わるように。
しかし、2002年。
愛媛県で機材の搬出中に400キロのフォークリフトが倒れ下敷きに…。
脊髄を損傷し、医師からはもう歩けないと告げられた。
そんな時、声をかけてくれたのが仕事で親交のあった長渕さん。

三浦「入院して一週間後くらいに病院に長渕さんから電話。いきなり『お前 どうなんだ?』『早く帰ってこい!』『自分が東京の病院に転院する手続きしてあげるから』『準備して早く出てこい!』という話になって、そこからトントン拍子だった」

長渕さんの助けもあり、現場復帰したちょうどその頃。
もう1つ運命の出会いが…

三浦「アテネパラリンピックが始まって、そのときにパラ・パワーリフティングという競技があって。僕は400キロを支えられずに背骨が折れちゃったので、400キロを持ち上げられる体になれるパラリンピックに出れる競技。これ(パラ・パワーリフティング) は僕に合っているなと思った」

そして、パラ・パワーリフティングを始めた三浦選手は僅か2年で日本新記録を達成。

三浦「やるからには日本記録を取らないと世界なんて見えないだろう、そこに向かっては怖いもの知らずでした」

47歳で初めてパラリンピックに出場すると…
2015年には…135キロを挙げ、記録更新。
リオでは日本人最高の5位入賞を果たすまでに成長した。
現在は、東京パラリンピックでのメダル獲得へ向け、日々猛特訓中。
三浦選手が行う、パラ・パワーリフティングは下肢に障がいのある選手が競い合う力比べ。
障がいの程度によるクラス分けは無く、体重別で行われる。
正式種目となったのは1964年の東京パラリンピック。
上半身のみで力比べをするパラリンピックならではの競技。
判定は非常に厳しく…胸まで下ろしたバーベルを一瞬止めてから上げる。途中で止まったり下がってしまったら「失敗」。
さらに。バーベルは平行に移動させないといけない。
試技は3回、その中で成功した一番重い記録で競い合う。

三浦浩選手の練習を見ていると…なんとも独特な姿勢。
この腰を浮かせた姿勢から生み出されるパワーこそが、三浦選手のストロングポイント「腕力に頼らないリフト」。

このストロングポイントはどのようにして生み出されているのか?
練習をサポートしているのはパワーリフティング界のレジェンド吉田寿子さん。元世界女王でもある吉田さんに「バーベルを挙げる為の重要な筋肉」を聞くと。

吉田「健常者の場合は足が踏ん張れるので、足も使ってベンチプレスをやる。障がい者の方の場合は使える筋肉が人それぞれで全部違う。健常者と同じようには考えられない。背中が弱いと(バーベルを)持ったときにフラフラしてしまう。背中がガチっと決まってしまうと、(バーベルを持ち上げる)動きが簡単にできる。背中は大事」

健常者の大会に唯一 車いすの選手で出場し優勝した経験もある三浦選手。
実はパワーリフティングの世界記録を比較するとパラアスリートが健常者を上回っている。
一体なぜ、このような結果が出ているのか。
パラアスリートの脳を研究している東京大学の中澤教授に伺うと。

中澤「視覚障がいの人が目が見えなくなったら、耳がものすごく良くなる。残された感覚が 健常者以上に発達する。脊髄損傷・パラのパワーリフターの方も下肢が使えなくなった結果上肢が補う。無意識の中でもトレーニングをしている結果。健常者以上に上肢の機能が高くなる」

そこで、パワーリフティングのパラ選手と健常者の選手を対象に、中澤教授が研究したのは「運動をコントロールする脳の働き」

中澤「2割の力を20秒間。動かないように出し続ける」

こちらが、その研究結果。健常者の選手は不安定なのに対し、パラの選手は圧倒的に安定していることが分かる。
このような脳のメカニズムがパラアスリートが健常者を超えるパワーを生み出せる要因ではないかと中澤教授は言う。

迎えた全日本選手権。三浦選手の1回目。

重量は114キロ。まずは軽い重量から挑戦。
1回目の試技は難なく成功。
続いて2回目は119キロ。
1回目同様、軽々と持ち上げ成功。
そして最終3回目は、125キロ。
惜しくも失敗したが、見事優勝し、全日本選手権9連覇を達成。

今後、三浦選手が目指すのは、東京の出場資格である世界ランキング8位以内の目安となる140キロ挙げ。
最後に、今後の目標を聞いてみた。

三浦「東京パラリンピックと名前がついた年に生まれた人間としては怪我もしたんじゃないかな。まずはそこ(東京パラリンンピック)に出てリオ(5位)以上の結果を残す。2028年のロスパラリンンピックまでは現役として昇り詰めていきたい」

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