ストロングポイント

毎週日曜 17:30~18:00放送

放送内容

第113回 ブラインドサッカー 黒田智成

2018年04月15日 放送

ブラインドサッカー日本代表、黒田智成(くろだ ともなり)。39歳。
猛然と相手陣地に切り込み、ゴールを奪う。日本を牽引するゴールハンター。
彼には誰にも負けない武器がある。
『空間認知力を生かしたドリブル』
空間認知力とは何がどこにあり、相手がどこにいるのか、その位置と距離を、瞬時に把握する能力のこと。
先月、日本で行われたワールドグランプリではこのストロングポイントを発揮。強豪イングランドから2ゴールを奪い、チームを勝利に導いた。
代表歴16年。2年後の東京パラリンピック出場を目指し、日々進化を続ける39歳の「今」を追った―――
東京、八王子にある盲学校。
ここで教師をしている黒田選手。
授業を終えた後、毎日2時間。体育館でボールテクニックを磨いている。
ブラインドサッカー、日本代表のストライカーとして活躍する黒田選手。
初めて代表に選ばれたのは23歳のとき。以来16年もの間、世界を相手に戦い続けてきました。武器はドリブル。
代表チームの高田敏志(たかださとし)監督は黒田選手をこう評す。
高田監督「天性のストライカー。そこに蹴るのかっていうところに彼は決められる。相手が誰でも関係なく、ブラジルでもどこでも決める。決めているんですよ、実際。そういうところは彼の天性の才能」
コートはフットサルと同じ広さで、サイドにはフェンスのあるブラインドサッカー。全盲の選手がアイマスクを着用し、特別な仕掛けがあるボールの「音」を頼りにプレーする。ゴールキーパーは目の見える選手が務め、声で指示を出す。そのほか、監督やコーチに加え、「ガイド」と呼ばれる役割の人が、敵陣のゴール付近に立ち、ゴールまでの距離やシュートのタイミングなどを声で選手に伝える。
熊本に生まれた黒田選手。
生後3か月で左目に腫瘍が見つかり、摘出手術を受けた。
小学校一年生で今度は右目にも腫瘍が。それまではわずかに見えていた視力も失い、全盲に。身体を動かすことが好きな少年は様々なパラスポーツに挑戦。大学生のときには三段跳びで日本記録を更新するほどの活躍ぶり。
日本にブラインドサッカーが導入されると知り、講習会に参加したのは2002年。大学院生の時。
黒田「ずっとサッカーをやってみたいと思いながらも、日本には視覚障がいのサッカーがなかったので、やっと自分も試合ができるサッカーと出会えるんだなっていう期待の気持ちといろいろな制限が多くて自由に動けないようなサッカーだったらつまらないなっていう半信半疑な気持ちで講習会に参加しました」
そして、初めてボールを蹴った瞬間、ピッチで解き放たれた自由を感じた。以来、日本のブラインドサッカーの歴史とともに走り続けてきた黒田選手。
先月、日本で初めて創設された国際大会、ワールドグランプリに挑んだ。世界の強豪6カ国が参加。グループステージから勝ち上がらなければならない。
日本の初戦の相手は、イングランド。
序盤から果敢に攻め続ける、黒田選手。前半14分。先制ゴール。
その後、同点に追いつかれるも後半11分。勝ち越しのゴール。
黒田選手は初戦勝利の立役者に。
そんな黒田選手のストロングポイント、『空間認知力を生かしたドリブル』。
ワールドグランプリの2週間前に行われたクラブチーム選手権。
国内の頂点を争うこの大会でも黒田選手のストロングポイントが効果的に何度も発揮されていた。
一人、二人、奥にもうひとり。三人のディフェンスをかわして、シュートに持ち込んでいる場面。いったいなぜ、相手が3人いることがわかったのか、聞いてみると。
黒田「三人でディフェンスしているなっていうのはわかります。声と足音で。最初のボイで場所を認識して、それからの動きは足音とかですね」
ブラインドサッカー、ワールドグランプリ。ゴールハンター黒田智成選手の2ゴールで初戦のイングランドに勝った日本だったが、次のトルコに敗れ、最終順位は5位。課題の残る結果に。
しかし、世界と互角に戦える手ごたえも感じた黒田選手。今後の目標を訊いてみると。
黒田「せっかく視覚障がい者として生きていく中で、ブラインドサッカーと出会って、この競技をやれているので、それならばこの世界の世界一になりたいと思って、今まで続けてきました。黒田のドリブルは誰にも止められないと思われるような、そういうドリブル、フェイントができるようにもっともっと磨いていきたいなと思っています」

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