ストロングポイント

毎週日曜 17:30~18:00放送

放送内容

第110回 アルペンスキー 三澤拓

2018年03月24日 放送

三澤拓(みさわ・ひらく)、30歳。
戦いのフィールドは、白銀のゲレンデ。時に時速100キロを超える猛スピードで、しかも急斜面を片足だけで滑り降りる。この過酷な競技で、パラリンピック4大会連続出場を果たした第一人者。彼には、誰にも負けない武器がある。
三澤「上体のぶれない滑り」
どんな猛スピードでも体の中心からぶれない頭の位置。この安定した滑りで彼は世界と戦ってきた。自慢の滑りのカギとなるのは、切断した方の「左足」。しかし、去年12月、ワールドカップでその左足を骨折。今も、3本のボルトが入っている。平昌パラリンピック直前に訪れた最大の危機。6週間後の復帰戦で見せた驚きの滑りとは!?復活をかけた挑戦に密着した。
去年12月、平昌パラリンピック代表候補選手の発表会見。各競技の代表選手が居並ぶ中、アルペンチームのヘッドコーチからショッキングな報告があった。
ヘッドコーチ「立位の三沢がオーストリア・クータイの第1戦で、切断している方の足を骨折してしまいまして、オーストリアのインスブルックで治療を受けまして、手術も成功しまして、だいたい6週間ぐらいは義足とスキーはできないと現地の医者には言われておりまして、6週間ですので、2月にはカムバックできると思っております」
アルペンスキーは、視覚障害、立って滑る立位(りつい)、座って滑る座位(ざい)の3カテゴリーで行われる。その立位でパラリンピック4大会連続出場を目指していた三澤選手が、オーストリアで開催されたW杯で転倒。切断している方の左足を骨折した。それから1か月、東京・大手町にあるスポーツジムに三澤選手の姿があった。三澤選手が骨折した左足には、今もボルトが3本埋め込まれている。しかし、その眼はあくまで平昌のスタートラインを見据えていた。
三澤「そんなに簡単に骨はくっつきませんけど、前までちゃんと左足も使えるようにトレーニングしていたわけですけど、それには支障ないぐらいには戻ってきているので、思ったより順調です。」「これが僕が両足の選手で骨折していたらあれですけど、幸いにも滑るのは右足だから、左足をつくわけではないから、そういったことではトレーニングも順調にやれているし、左足にめちゃくちゃ負荷がかかるかといったら、右足に比べたら1割2割かもしれないし、そういった意味では全然問題なく(やれている)」
平昌のスタートラインを目指し、黙々とトレーニングに励む三澤選手。骨折した左足に負荷をかけないよう、全体重を支える右足を徹底的に鍛えあげる。スキーを履くのは、この鍛え上げた右足ですが、実は骨折した左足も三澤選手の滑りにおいて重要な役割を果たしている。三澤選手は、長野県松本市の生まれ。運動が得意な活発な少年でしたが、6歳で交通事故にあい左足を切断した。しかし、足を切断してからも、抜群の運動神経は健在。少年野球では義足をつけてプレー。その実力は、地域の大会で最優秀選手に選ばれるほど。小学校2年生から始めたスキーでもめきめきと頭角を現すと、中学2年生で初出場したジャパンパラではいきなり2位に。夢は世界に広がった。
三澤「中学校2年生の時にジャパンパラリンピックに初めて出て、そこで2位になった時に、1位だった人はパラリンピックだったりワールドカップに出ている人で、その先輩を越せば、追い抜けば世界に出られるんだと思った時に、なんとなく昔から世界に出たいという思いは何となくあったので、じゃあスキーでパラリンピックだとかに行ければ世界に飛び出せるんだと思った時にスキーの方が魅力を感じて、高校からは留学してスキー1本でという感じになりました。」
決意を固めた三澤選手は、夏の間もスキーができる環境を求めて、単身ニュージーランドに留学。高校3年生でトリノパラリンピックに初出場すると、回転で5位入賞を果たした。
三澤「あの頃そんなに深くどうレースに取り組むとか18歳のころそんなに深く考えていなくて、純粋に頑張って滑ろうみたいなそんなレベルだったので、そういった意味では初めて出て5位はベストを尽くせたかなと思っています。」
しかし、自信を持って挑んだバンクーバーパラリンピックの最高成績は6位。4年後のソチ大会では入賞すら叶わなかった。
三澤「ソチ終わってからいろんな取り組みがまともにできるようになったというか、勢いだったりそういうのだけでは勝てないという風に分かってきて」「このままではチェアスキーというものがパラリンピックの中でもアルペンスキーになってしまうという危機感は強く思っていたので、それは避けたかったし、じゃあやらないといけないことはというので夏のトレーニングとかもちゃんと取り組むようになったという感じですね。」
トレーニングを根底から見直した三澤選手は、劇的な進化を遂げる。2016年にW杯回転で2位に入ると、翌年にはスーパー大回転で3位と2年連続でメダルをゲット。夏場には、代表チームでチリ合宿を敢行。入念に練習を重ね、満を持して4度目のパラリンピックに臨むはずだった。しかし・・・迎えたシーズン初戦でまさかの転倒。左足大腿骨を骨折する大けがを負った。それから6週間、いよいよ三澤選手がゲレンデに復帰する日がやってきた。今年1月31日、長野県のスキー場に三澤選手の姿があった。左足を骨折して以来、初めての雪上トレーニング。スキーを履くのは何日ぶりですか?
三澤「12月19日以来なんで1か月半。」
シーズン中に、それだけ長い期間、滑らないことって珍しいと思うんですが、久しぶりのゲレンデ、やっぱり、待ち遠しかったですか?
三澤「スキーをするのは楽しみですけど、たかぶってはないです。」
6週間ぶりのスキー。入念にストレッチをおこない、いよいよゲレンデへ。復帰1本目は、骨折した左足の状態と雪の感覚を確かめるように、緩やかな斜面をゆっくりと滑る。ウォーミングアップが終わると、いよいよ急斜面へ。まさに水を得た魚!いや、スキー板を得た三澤選手!軽やかに滑り降りていく。骨折の影響をみじんも感じさせない。果たして本人の感触はどうだったのか?
三澤「楽しんで滑りましたけど。」「多少の不安がゼロではなかったんで、少しはあったんですけど、今日しっかり確かめられて、不安もなくなったし、全体的な左足の違和感とかの感覚も確かめられて、問題なく滑れるというのも確かめられたし、良かったです。」「滑り自体はもちろん100点ではないですけど、今日のスタートの初日として、左足の感覚の確認とか、今日やりたいという部分では充分100点です。」
左足の感覚、そう、実は三澤選手の滑りにおいて、重要な役割を担っているのは、スキーを履いていない左足。その左足を活かした“上体のぶれない滑り”とはどういったものなのか。秘密を紐解いていく。三澤選手のストロングポイント“上体のぶれない滑り”。同じくパラリンピック4大会連続出場を果たした小池選手は、その凄さについて。
小池「片足なのに信じられないほどスキー板に圧力を加えられていますし、それが逃げない。スキー板が機能して走っていくんですね。特に、ターンとターンの間つなぎすごく重く乗れているので、スキー板が走っていくのが目に見えて分かります。それがタイムにつながっていて、足で滑るのではなくて体幹で滑っているかのようにしてスキー板を走らせる。それを片足でおこなっているというのは本当にすごいことです。自分もまねたいと思っているんですけど、なかなかできないですね。」
三澤「ちょっとしか残っていない左足を使う事で体幹周りもグッと力が入るようになったり股関節回りも安定感が増して雪上で滑っているときも結局安定感が違ったりバランスを崩した時のリカバリー能力が体幹がグッと戻る感じとかがついてきた感じがします。」
“上体のぶれない滑り”を可能にしているのが、フィジカルトレーニングで作り上げた強靭な肉体。中でも、20センチほど残っている切断した左足を強化したことが、体幹に良い影響をもたらしたと言います。
三澤「これしか残っていないんですよ、実際にこれしか。ここをじゃあスキーにつなげるかといったら、あまり(意識していなくて)、どうしてもスキーの技術のある右足にばかり頼っていたけど、左足をちゃんと動かすことで体幹がきちんと入るようになって、滑っている時に(体を)傾けても体幹が崩れなくなってバランスも崩れなくなってきた。バランス力が上がることで、レースの滑るラインも攻められるようになってきた、きれいなラインをとれるようになってきた。ゴールまで体力が、右足だけに頼っていたのが、体幹でもカバーできるからゴールまで力を出せる。」
そして先月、三澤選手が復帰の舞台に選んだのは平昌パラリンピックの代表が集結したジャパンパラ。果たして、骨折前の滑りを取り戻せているのか?注目の大会。
ここで上田のQ。このコーナーでは、わたくし上田晋也が抱いたふとした疑問を解明してまいります。今回の疑問は。アルペンスキーの立位では、両足の選手や片足の選手など障がいの異なる選手が同じコースを滑ってタイムを競っていますが、公平性はどのように保たれているのでしょう?
三澤「障がいによってハンデの係数というのがリアルタイム、実測にかけられて、計算されたタイムでみんな争います。僕のように片足の選手もいれば、片手の選手で両足がある選手、そういった障がい別によってハンデが決まっているのでそこから今までの歴史から蓄積されたデータによって係数が決められていて、それを実測にかけて計算されたタイムで争っています。」
例えば、大回転の場合、三澤選手の係数は88.92%。仮に100秒で滑ったとすると、それに係数をかけた88秒92がゴールタイムとなるのです。
三澤「実測で滑れば片手がなくても両足で滑っている選手の方が僕よりは早いことがほとんどなんですけど、計算されたタイムによって僕が上回ることももちろんあります。」
三澤選手がパラリンピックで出場するのは5種目。それぞれ異なった係数が定められています。
三澤「ただ回転に限ってはほとんど僕に計数はないので、純粋に片手の選手にも勝たなければいけないという種目もあります。」
なるほど、緻密な計算で公平性が保たれているんですね。三澤選手、ありがとうございました。
12月に骨折してから6週間。三澤選手、いよいよ復帰レースです。12月に左足を骨折してからおよそ6週間。三澤選手がいよいよレースに復帰します。果たして結果は?雪上に復帰してからわずか4日。もちろん、レースは初めて。にもかかわらず、序盤から果敢に旗門スレスレを攻める三澤選手。スキーができない期間に徹底したフィジカルトレーニングを行ったことで、体幹は骨折前よりパワーアップしたという。その体幹を駆使して、ぎりぎりまで体を傾けながら滑り降りていく。急激な斜面の変化にも、バランスを崩すそぶりはまったく見られない。最後まで安定したフォームで滑りきった三澤選手。復帰戦を見事、優勝で飾った。久々のレースを終えた今の気持ちは?
三澤「やっぱり滑れないという焦り、純粋にW杯を経験できない、レースできないというのはもちろんデメリットは多いと思うし、実際にケガをして左足の可動域が無くなってしまうかも知れないというのはありましたけど、逆に、1月中に遠征に行かない分フィジカルをしっかりやれる、また体を見つめ直せるというのはメリットだし、こういう不明確な中でも自分をどれだけ高められるかというのはかなりメンタル的には強くなったと思うし、不安な中でもやることはやらなきゃいけないというところで、もちろん不安な部分はあったけど、それでもちゃんとトレーニングを続けてこられたというのはたぶん最終的にはメンタル的な部分が強くなれたというのは自分では感じています。」

骨折を乗り越え、逞しさを増した三澤選手。いよいよ平昌の舞台に立つ。

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