おぎやはぎの愛車遍歴|「愛車遍歴的ミスターGT-Rに聞け!日産 GT-R解体新書」4月18日(土)夜9時放送

愛車遍歴を辿れば、人生がみえてくる!「おぎやはぎの愛車遍歴 NO CAR, NO LIFE!」
4月18日(土)の放送は、元日産GT-R開発責任者の水野和敏さんが登場!水野さんが最後に手掛け、鮮やかなスペックで世界を魅了した日産GT-Rを深掘りします。
過去の放送回はHuluで配信中!最新の放送回はTVerで配信中!
GT-R開発のきっかけは日本のファン⁉すべてが斬新だった少数精鋭の舞台裏

水野さんが「フルカーボンのレーシングカーに勝てる市販車を作る」と決意したのは、ル・マン24時間レースに挑戦した1995年のこと。日本から駆けつけたファンの熱い声援に突き動かされ、一念発起したといいます。レース終了当日から構想を練り始め、2004年には本格的な開発をスタート。開発メンバーは通常の半分以下の50人、予算も半分以下という驚きの体制だったことが明かされると、おぎやはぎの二人も次々と飛び出す秘話に大興奮!
少数精鋭で作り上げたGT-Rが、なぜ高性能と低価格を両立できたのか?通常8〜10年を要する開発期間を、わずか3年に短縮した水野氏の”凄ワザ”とは⁉ 知られざる開発の舞台裏が明らかに!
世界にないものを作ろうと立ち上がったGT-R開発チーム。その意外なメンバーは⁉

開発当時、繁忙期にあった日産。水野さんは、開発を進めたくてもエンジニアのスケジュールが確保できず頭を抱えていたといいます。そこへ現れた救世主は、意外な業界のエンジニアたち。当時不況だったその業界では早期退職を募っていたそうで、水野さんは退職後のエンジニアたちを雇用。その数は開発メンバーの80%を占めていたと明かしました。「乗用車なんかみたこともない方たちでした」と聞いた小木は「そのエンジニアの方たちって、役に立つんですか?」と直球質問。ところが、それこそがプロジェクトを成功に導いた最大の要因だったそうで…。おぎやはぎの二人が大納得した、驚きのマネジメント術とは⁉
GT-Rがベンチマークにしていたあの名車が登場!
ベンチマークにしていた名車は、ドイツの超がつく有名車。なぜこの車をベンチマークにしていたのか…。実は、GT-Rの開発がドイツで行われたこともこの車を意識した道場破りの精神だったといいます。「名車のお膝元でそれよりも速い、公の前で結果を証明する、これこそが最高のブランド戦略です」と話すと常に自分の周りにいたパパラッチが世界中に情報を発信してくれたおかげで「正式発表時にはGT-Rがベンチマークしていた車よりも速いことが周知のことになっていたと」水野流ブランディング戦略の効果を明かしました。
販売が始まってからも当時主流だった紙のカタログは作らずに独自の宣伝方法を貫いた水野さん。写真を使わずにどうして世界的なブランドを構築できたのか…。世界からミスターGT-Rと称される水野さんが注いできた熱い思いと名車誕生秘話を語ります。
これまでの放送おぎやはぎの愛車遍歴|「中嶋悟と振りかえる!レジェンド・オブ・レジェンド~今甦る魅力と今だから明かせる秘話」4月11日(土)夜9時放送