放送内容

#41家康大敗北~三方ヶ原の戦い―しかみ像の真実!

2016年05月05日 初回放送

天下統一を果たし、260年の泰平を生み出した天下人、徳川家康。
その後「神君」、神としてあがめられる存在にまでなった。
その家康最大の敗北・・・。それが「三方ヶ原の戦い」である!

時は元亀3年(1573年)12月22日。
戦国最強と謳われる軍を率いて上洛せんとする武田信玄は
当時31歳の若き家康の居城、浜松城の目の前を通過。

武田軍は2万5千。家康軍は8千。
少ない兵力にもかかわらず、血気にはやる家康は城を出て
三方ヶ原に武田軍を追撃!だが・・・。

その家康の動きを読んだいたのか、
三方ヶ原で待ち受けていた信玄と武田軍によって
家康は徹底的に打ちのめされることになる。

徳川軍は有力家臣を含め、2000人もの死傷者が出たとされ、
家康自身も討ち死に寸前まで追い詰められた。
家臣たちを楯に敗走し、九死に一生を得た家康。
それは、家康の生涯で最大の汚点ともいえる大敗北だった!

歴史捜査は三方ヶ原の戦いを現場検証!
なぜ家康は浜松城を出て、最強武田軍に戦いを仕掛けたのか?
定説を覆す本当の理由とは?
家康が三方ヶ原大敗北を戒めるため書かせたという「しかみ像」。
この絵について驚愕の新説が!

伝説に彩られた三方原の戦いの真実に迫る!

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