放送内容

#102豊臣家崩壊のカウントダウン!茶々・秀頼・片桐且元 決裂までの13日間の真実を追え!

2018年02月15日 放送

天下分け目の関が原の戦い。
豊臣恩顧の武将たちは東西に割れ、徳川家康が勝利する。
だがここで家康の天下がすぐに始まったわけではなかった。

関ケ原の戦いから大坂の陣までの15年間、
豊臣体制の頂点にいたのは、秀吉の一人息子、秀頼。
その母、淀殿こと茶々。
そして若いときから秀吉に仕え秀頼を支える家臣のトップとなった家老、
片桐且元であった。

天下を狙う家康にじわじわと追い詰められるなか、
大坂の陣の発端となる事件が起こる。
世に言う、"方広寺鐘銘事件"である。

そして大坂の陣勃発から豊臣家滅亡に至る過程で、
家老・片桐且元がキーマンとなる。

通説では、家康に寝返ったと疑われ、家老の且元を茶々と秀頼が
大坂城から追放!
家康との取り次ぎ役を担っていた且元を追放したことに激怒した家康は、
戦さを決心。そして大坂冬の陣が勃発し豊臣家は滅亡する。

しかし、そんなに単純ではなかった!

・・・且元をなぜ、秀頼と茶々は追放したのか?
豊臣家を支えた男が追放されるまでの緊迫の13日間を
駿河台大学黒田教授が、これまで注目されていなかった史料から
事件をひも解いた時、これまでの通説を覆す新事実が浮かび上がった。

豊臣家を追放され、家康のもとに走った片桐且元は
「裏切り者」だったのか?

実はその裏には、且元暗殺計画があった?
「裏切り」とされた且元の行動の真実が明らかに!

豊臣家崩壊のカウントダウン!
茶々・秀頼・片桐且元、決裂までの13日間の真実を追う!

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