2013年5月18日 初回放送

- 土屋圭市
- 1956年生まれ。長野県出身。
元レーシングドライバー。峠の走り屋として腕を磨き、1977年、21歳の時に富士フレッシュマンレースでデビュー。その後、ツーリングカーでのレース中心に活躍。ドリフト走行を多用するそのドライビングスタイルから「ドリフトキング」の異名を持つ。
2003年引退後は、鈴木亜久里と共にチームARTAの運営・監督代行などを務め、近年は、稲田大二郎氏と共に「ドリフト・マッスル」というイベントを立ち上げ、活動している。
土屋圭市の愛車遍歴
- 1974年 18歳 日産 スカイライン 2000GT
- 1976年 20歳 日産 スカイライン 2000GT
- 1977年 21歳 日産 スカイライン 2000GT
- 1977年 21歳 日産 サニー
- 1978年 22歳 日産 サニー
- 1981年 25歳 トヨタ スターレット
- 1985年 29歳 トヨタ スプリンタートレノ
- 1986年 30歳 トヨタ スプリンタートレノ
- 1988年 32歳 日産 シルビア
- 1989年 33歳 日産 スカイライン GT-R
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- 後編につづく!

竹岡圭コラム
「おぎやはぎ、初サーキット!」
ドリフトを文化にしたレーシングドライバー、土屋圭市さん。
普通、ドリフトするとタイムが遅くなるものなのですが、ドリフトしながら速く走れるヤツがいる!ということで、有名になった方なんですよね。その後、どんどん大きなレースにステップアップされてからは、さすがにレース中のドリフトシーンは見られなくなりましたが、そのかわりにドリフトという競技を立ち上げ、今じゃ世界中で大人気のモータースポーツ競技になっているというのは、本当にスゴイことです。モータースポーツがいつまで経ってもメジャーにならない日本から発信したモータースポーツ競技。土屋さんは、モータースポーツ界のものすごい功労者なんですよね。
そんな土屋さんのこと、長野の峠を走り回っていたというのはモータースポーツファンの間では有名な話ですが、今回初めて詳しく伺ってみて、本当にそうだったんだと納得しちゃいました。
しかし峠を走り始める前が、「走らない暴走族」だったということにはビックリ。駅前で展示するだけなんて、そんな文化もあったんですねぇ。
さて、今回は土屋さんということで、番組初のサーキットが舞台となりました。本庄サーキットは基本カートコースなので、国際格式のサーキットのような規模ではないんですけれど、ミニサーキットとしては中くらいの手頃な広さ。おぎやはぎのお二人はサーキットは初めてとのことで、もう朝からワクワクしっぱなしでした。
初めてサーキットを走った感想は「すげぇ〜」とか「やっぱ違うわ〜」とか言う、至極当たり前のものでしたけど(笑)、まぁ初めてってそんなものかもしれません。
ちなみに私が初めて走ったサーキットは、日光サーキット。やはりミニサーキットでした。大きいサーキットとしては、筑波サーキットが初めてでしたが、やっぱり「すごぉ〜い」と言っていたような気がします(笑)。
最近は筑波サーキットか富士スピードウェイくらいしか走るチャンスがないんですけど、このクラスになると本当にレーサー感覚という感じなので、おぎやはぎのお二人にも是非、筑波や富士を体験して欲しいなぁ〜と、より強く思うようになりました。
まずは3人でレーシングスーツでも作りに行くのも楽しいかもしれませんね。その時には、ぜひ土屋さんや亜久里さんに、レクチャーしてもらいましょう〜!・・・なぁんてことが実現したら、超豪華でスゴイんですけどねぇ〜。
収録遍歴
「オレ様」たちが惚れこんだ
本庄サーキット!!