2015年9月9日 初回放送
今回は王朝の歴史と移民の文化に彩られたオアフ島を巡ります。
ハワイ諸島の中で3番目の大きさを持つオアフ島は、年間800万人以上の観光客が訪れることから「集いの島」と呼ばれています。
ホノルルのダウンタウン。州の最高裁判所の正面にカメハメハ大王の像が立っています。カメハメハ大王は1795年にハワイ王国を建国した、ハワイの歴史を代表する人物です。
カメハメハ大王像の程近くに1820年代初頭に建てられた宣教師の住居が博物館として残されています。ミッションハウス・ミュージアムです。ここはハワイで初めて聖書が印刷された場所として知られ、当時の印刷機が展示されています。
ダウンタウンの一画にアメリカ合衆国に存在する唯一の宮殿、イオラニ宮殿があります。ハワイ王国の第7代国王デビット・カラカウアが建設し、1882年から王朝が転覆する1893年までハワイ王国の王宮として使われました。
カラカウア王の死後1891年に第8代国王に即位したのがリリウオカラニ女王です。ハワイがアメリカの一部になることに反対した女王は1895年に反乱の罪で逮捕され、この宮殿に幽閉されました。「幽閉の間」には、囚われの日々の中で彼女が縫ったハワイアンキルトが展示されています。
宮殿に隣接する、かつて宮殿の公文書館だった建物では伝統のハワイアンキルトの教室が開かれています。ハワイアンキルトは19世紀初頭に宣教師の妻たちが伝えたパッチワークの一種で、一般的なキルトとの違いは端切れではなく大きな布を使うことや左右対称のデザインだそうです。
観光客が誰でも一度は訪れるワイキキビーチ。しかしワイキキに美しい海岸線や砂浜が最初からあったわけではないのです。
ワイキキはハワイ語で「水の湧く場所」という意味で、かつては湿地帯でした。
ワイキキビーチに沿うように延びるアラワイ運河はその湿地帯対策として造られました。この運河の誕生と埋立てによってワイキキは世界的リゾートに変貌したのです。
日本から最初の移民が来て140年余り。ハワイには古き良き日本が残っています。ワイキキビーチの程近くに昭和の日本と出会えることで人気のホテルがあります。ザ・ブレーカーズホテル。
オープンは1956年。建物は2階建てで、和風の屋根や障子窓が際立ちます。
こちらは1950年の創業以来半世紀以上も、ホノルルで日本の豆腐を作り続けているアロハ豆腐。日本で商店街の豆腐店が少なくなった今、懐かしい昭和がハワイで生きています。
オアフ島東海岸。標高960mのコオラウ山脈の谷間にオアフ島最大の牧場、クアロア・ランチがあります。神秘的な山間の風景はハワイ神話にも語られオアフでもひときわ神聖な場所とされています。
目の前の海辺にはハワイ先住民の大切な遺跡があります。
フィッシュポンドと呼ばれる伝統的な魚をとるための池です。
潮の流れを利用して魚をとらえ、生簀としても利用しました。
ワイキキから車で1時間ほど。北部の海岸ノースショアへ向かいます。
サトウキビ産業華やかなりし頃の製糖工場跡が多く見られるワイアルアの町に
古い工場を利用して新しい名物が作られています。
ノースショアソープファクトリーがつくる、天然素材の石鹸です。
ワイキキの夕暮れ。南国の強い日差しが陰りだしてもリゾートの楽しみは終わりません。ビーチ沿いのホテルではそれぞれの趣向を凝らした、フラのショーが繰り広げられます。夕暮れのワイキキは昼間とは違う魅力的な表情を見せてくれます。