2015年5月13日 初回放送
イタリア半島北東部。目の前にアドリア海を望む港町「ベネチア」。東京23区の3分2ほどの土地に、およそ26万人が暮らしています。
水の都「ベネチア」は、アドリア海の干潟に築かれた100以上もの人工の島で構成されます。町には大小150以上の運河が走り、交通や物流を支えています。市内に掛かる橋は400以上。道が入り組んでいるため車は禁止されています。中世の佇まいを残す水の都は、1987年に世界遺産に登録されています。
市内には現在、400以上のゴンドラが運行しているそうです。ゴンドラの漕ぎ手はゴンドリエーレと呼ばれます。本来、ゴンドリエーレは世襲制で、代々その家の子供しかこの仕事につけませんでした。しかし近年、この世襲制が廃止され、専門学校の訓練を受けることで、外国人や女性でもなることができるようになりました。運河は細く入り組んでいて、市内にはゴンドラでしか通れない場所も少なくありません。ベネチアは、元々は独立した共和国で、中世には地中海貿易で大きく繁栄しました。巨大な海軍を持ち、一時はアドリア海沿岸で最大の勢力を誇ったといいます。どこまでも穏やかな運河。そのリズムに合わせて、時間までゆっくり流れているようです。
ベネチアの中心部から運河を隔てて北東に位置する「ムラーノ島」。
中世の貴族たちが都会の喧騒を離れて静かな時を過ごした島だそうです。
ムラーノ島は、世界的にその名を知られる工芸品「ベネチアングラス」の産地としても知られています。当時、ヨーロッパ各国に輸出されたベネチアングラスは、王侯貴族に珍重され、共和国に莫大な富をもたらしました。
12世紀には、製法が漏れるのを防ぐため、それまでベネチア各地にいたガラス職人が、ムラーノ島に強制的に集められたといいます。その土地の殆どが人工の島々から成り、ソーダ石灰やコバルトなどガラス作りの原料を全て輸入に頼ってきたベネチア。ベネチアングラスは、土地の貧弱さと同時に人々の知恵の豊かさを、物語っています。
「ムラーノ島」から北東へおよそ7キロ。ベネチア発祥の地とされる「トルチェッロ島」があります。現在、島の人口はわずか10人。周辺地域で最も早く人が定住した島とされ、ベネチア共和国が最盛期を迎えた10世紀頃には、貿易の重要拠点として2万人以上が暮らしていたそうです。この島をこよなく愛した世界的な作家がいます。「老人と海」などで知られる20世紀アメリカの文豪、アーネスト・ヘミングウェイです。「ベネチア」と「トルチェッロ島」を愛したヘミングウェイは1950年にこの島などを舞台とした小説「河を渡って木立の中へ」を発表しています。ここには、ヘミングウェイが愛したベネチアの原風景が今も残されています。