【放送日:2005年12月31日・2006年1月5日・7日・12日】
プロフィール
大橋巨泉(おおはしきょせん)
1934年 東京都生まれ

ジャズ評論家、放送作家を経て、1966年より「11PM」に出演。 その後、「巨泉前武 ゲバゲバ90分」「クイズダービー」「大橋巨泉の世界まるごとHOWマッチ」等司会を務め、人気を博す。番組・CM出演を通じ、多くの流行語を生み出した。1990年に「セミリタイア」し、一年の大半を海外で過ごしている。 『巨泉〜人生の選択〜』『がん〜大橋巨泉の場合〜』など、著書多数。

テレビ界の一時代を築き上げた大橋巨泉の「人生の選択」とは。。。
大橋巨泉
大橋巨泉
大橋巨泉
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大橋巨泉
1934年、大橋巨泉は東京都両国の裕福な家庭に生まれた。ある日巨泉は、ジャズのレコードを発見し、瞬く間に夢中になる。より深く理解しようと英語学校にも通った。その後、早稲田大学政経学部新聞学科へ進学し、ジャズファンの集い「ホットクラブ・オブ・ジャパン」に足しげく通った。さらにクラブ会報誌の編集の手伝いや原稿の執筆をするようになる。それがジャズ雑誌の編集長の目にとまり、雑誌の原稿をも書くようになったのだった。しかし、最愛の母がガンで亡くなる。巨泉は大学を中退し、自由奔放な人生へと踏み出していった。

1950年代、空前のジャズブームが到来。巨泉はクラブのママに頼まれ、ジャズのステージの司会を引き受けた。堪能な英語、豊富なジャズの知識に加えて巧みな話術で、見事な司会ぶりであった。それが音楽界やマスコミ界に知れ渡り、さまざまなテレビ番組の構成を任されるようになる。さらに、1965年から始まった深夜番組『11PM』では自らが出演。ギャンブルを取り上げるなど新鮮なテーマで話題となった。ユーモアのセンスで人気者となっていた巨泉であったが、ラジオ番組『大学対抗バンド合戦』では、憎まれ役に徹し毒舌の司会者として好評を博した。『ゆく年くる年』の司会も務めるなど、大橋巨泉は人気司会者として大活躍。さらにCM出演では「ハッパフミフミ」の流行語を生み出す。この頃にはテレビ・ラジオのレギュラーが週10本以上。分刻みで仕事をこなした。こうした中、巨泉は独立を決意。お世話になった事務所に感謝の意をこめ、一年間は独立を先送りし働いた。そして独立を果たし、事務所を設立。ジャズバンドを結成し、そのメンバーでもあった寿々子さんと結婚した。その後巨泉は、ニュースワイドショーの先駆けともいえる「巨泉は考える」というコーナーをスタート。福祉問題や韓国・北朝鮮問題などを取り上げる真剣な取り組みでギャラクシー賞を受賞した。また、新たなバラエティ番組『巨泉前武 ゲバゲバ90分』では「ゲバゲバピー」「あっと驚くタメゴロー」など多くの流行語を生み出した。さらに1973年、カナダ・バンクーバーに「OKギフトショップ」をオープン。事業家としても歩みだす。『クイズダービー』『世界まるごとHOWマッチ』などタレントとしてもトップを走り続けた。

1990年、大橋巨泉は、56歳でセミ・リタイアを宣言する。その後は、雑誌の執筆活動や、テレビ出演、事業家としての仕事をこなしながら、一年の半分以上を海外で過ごす生活を夫婦水いらずで送る。その自然体の生き方は、いまや多くの人々から支持を受けている。2005年に胃ガンの手術を受けるも、無事回復。再び悠々自適の生活を送っている。
そんな大橋巨泉のマイスターズスピリットは・・・「You can’t have everything」。
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