放送内容

#66今川義元は なぜ信長に負けたのか?!桶狭間の戦いの真実を追え!

2017年02月09日 放送

永禄3年5月19日。
戦国時代の戦にあって、かつてない「番狂わせ」が起き、
歴史は動き出した。

桶狭間の戦い。

定説では、2万5千もの兵力で、京に向け上洛しようとしていた
駿河の太守、今川義元が狭間で休息をとっているところに
わずか2千の兵で、織田信長が突然襲い掛かった。
今川義元は織田の兵によって首をとられ、
尾張の一領主に過ぎなかった信長が、
一躍、天下への道を歩みだす大きな転機となった。
そして今川義元は、圧倒的な兵力差がありながら敗者となった。

今川義元と言えば、お歯黒に眉を落とした、およそ戦国武将とは
思えない公家のような風貌。
足が短く、馬に乗れずに戦場に行くにも輿に乗っていたという
軟弱なイメージ。
女戦国大名と呼ばれた母、寿桂尼に頼っていた「マザコン」。
桶狭間でも酒宴を開いているところを襲われて、あえない最期を遂げた、
情けない武将というイメージで語られている。

しかし、今回の歴史捜査でこれまでの定説を覆す、
驚くべき事実が浮かび上がったのである!
今川義元の実像とは、厳しい骨肉の家督争いに勝利し、
朝廷や幕府との太いパイプを持ち、先進的な領国経営で
膨大な富を築いた優れた戦国大名という側面が浮かびあがってきた。
そして、これまでの「織田信長討伐説」「上洛説」とは全く違う、
桶狭間への進軍の真の目的が最新捜査で浮かび上る!

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片岡愛之助の解明!歴史捜査 BS日テレ